日々あんだら
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マン・レイ展を観に行って来た。
彼が写真の歴史にどういう足跡を残した人かは知ってるつもりだったけど、そう言えば彼の写真は1枚も見たことがなかった。 彼が写真だけでなく、絵や彫像やその他の作品も残している、ということも知らなかった。^^;
凡庸。
それが彼の写真を見た最初の印象。 どこかで見たような写真ばかりだ。 どこにでも溢れていそうな写真ばかりだ。
でも、途中で気が付いた。 僕がどこかで見た、どこにでも溢れている写真の影響をマン・レイが受けているわけではない。 それらの写真が、直接・間接を問わず、全てマン・レイの影響を受けているのだ。 ポートレートも静物も風景も。 ライティングもトリミングも。 写真の加工や修正まで、彼は1920〜30年代にやってしまっている。 (ないのはスナップくらいで、その源流はもちろんブレッソンだろう)
今の僕らの目で見て、マン・レイの写真に目新しさは全くない。 でも、彼が切り開いた道を歩いている僕たちにとって、それを見ることは決して無意味ではないはずだ。
【マン・レイ展】 2010年7月14日(水)〜9月13日(月) 国立新美術館 1500円
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それに先立って、同じく国立新美術館で開催されているオルセー美術館展も見てきた。
はっきり言って、絵画については全く詳しくない。 中学の美術の時間に教わったことと、マンガの『ギャラリー・フェイク』で読んだことが僕の知識のほぼ全てだ。(笑) でも、芸術作品を見るのに予備知識なんか必要ない。 どう見るか。 どう感じるか。 どういう影響を受けるか。 好きか嫌いか。 重要なのはそんなもんだと思う。
100点以上の絵画を人込みに巻き込まれながら見るわけで、当然ゆっくりじっくりとは見れない。 ある程度以上大きな絵は、少し離れて見ることを前提として描かれてると思うんだけど、人が多すぎてそれも無理。 それでも感じられることはたくさんあったし、おもしろかった。 入場料と、30分の待ち時間と、人込みに巻かれる苦労を差し引いても、見に行ってよかったと思う。
ただ、ウザかったのは、連れに講釈を垂れる人が多かったこと。 「この画家はこの時代どういう状況で、それがこの絵にどう反映されているか」とか「ここにこの色を使うなんて普通できないよね」とか「この玉ねぎ、すごい生命力!!」とか、そんなんどうでもええねん!! その画家の人生なんかに興味はないし、確かにあそこのあの色を使うのは一見不自然かもしれんけど3歩下がって見たら自然に馴染んでたし、あの玉ねぎは妙にのっぺりしてて僕の目には気持ち悪かった。
感じ方なんか人それぞれで正解も不正解もないねんから、せめて周りの人間が自分なりの感じ方をするのを邪魔しないで欲しい。
ここから先は僕の考え方、というか好き嫌いなんだけど、(写真も含め)例え作者と言えども作品を見ている横で解説されるのが大嫌いなのだ。 作者が作品に込められた思いとかはあるんやろうけど、それをどう感じるかは見る人の自由でしょう? もしそれが違っているのだとしたら、それは作品の力不足が原因なのだ。 それを言葉で補うようなことはして欲しくない。
ましてや、赤の他人である評論家や観客の解釈ならなおさらだ。 何が悲しくて、オリジナルの作品を目の前にしながら他人の感じ方を押し付けられなあかんねん。
というわけで、この展示、見に行く価値はありますが、耳栓か何かを持ってった方がいいです。 てか、美術館ででっかい声でペラペラ喋んなや。(-_- +
【オルセー美術館展2010「ポスト印象派」】 2010年5月26日(水)〜 8月16日(月) 国立新美術館 1500円
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ちなみにこの2つの展示、両方のチケットを同時に買うと2800円と少しお得です。 両方合わせて3時間くらいで見れるかなぁ。(オルセーの方の待ち時間を除く) ただ、両方気合入れて見て回ると、最後の方で頭痛が始まります。^^;
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