日々あんだら
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サルガドもライカM6を使っているらしい。(SONY α700 + DT16-105mmF3.5-5.6)
実は昨日、デザフェスに行く前に、恵比寿の写真美術館に行ってきました。 目的はセバスチャン・サルガドの写真展『AFRICA』。
彼の名前も顔も昔から知っている。 作品も何点か見たことがあって、「とても美しい報道写真を撮る人」というのがその印象。 報道写真を芸術の域にまで高めている人はそうざらにはいない。
そんな前知識を持って見に行ったんだけど、吹き飛ばされた。 圧倒的なリアルと圧倒的な美しさの両立。 初めてオリジナルプリントを見たんだけど、想像してた以上のインパクト。
彼の写真は1枚の中に「世界はこんなにも過酷で、同時にこんなにも美しい」ということが表現されている。 もっと正確に言うと「人間はこんなにも残酷で、世界はそれとは無関係に美しい」ということ。 例えば、1年前に大虐殺が行われた学校の教室に散乱している人骨が、美しい光の中に浮かび上がる。 数日前に辿り着いたばかりの難民キャンプから追い返される難民たちの行列が、造形的にとても美しい。 どんな過酷な状況であっても、それが最も美しい光を選び、その瞬間を待って撮っているのだと思う。
あと、もう一つ感じたのが、その写真に写る人々の瞳の強さ。 難民キャンプにいる子供も、難民キャンプから母国に戻る船の上で授乳する母親も、 瀕死の息子を抱えてキャンプに辿り着いた父親も、みんな瞳に強い光をたたえている。 その瞳の光を捉えられているのがすごい。 (僕だったら、その瞳に負けてきっとシャッターを切れないと思う)
とにかく、すごかったです。 今までたくさんの写真展を見に行ったんだけど、こんなにも自分の写真がくだらなく思えたことはなかった。 世界を撮る、というのはこういうことかと思う。
ただ…その日の帰りにまつさんと話しててふと思ったんだけど、 彼の写真を見て僕らが「美しい」と感じるということは、 それを撮る瞬間の彼が、その場面を「美しい」と感じているということ。 あんなに凄惨な場面や、過酷な状況に直面している人たちを前に、 それを「美しい」と思えるということは、本当に怖いことだと思える。
実は昨日はサルガド本人の講演会もあったらしいんだけど、知らずに行ったら整理券は終了していて、 残念ながら聞けなかった。 いつか彼と会えることがあったら、どんな人なのかその人柄を見てみたいと思う。
その前に、写真展やってる間にもう1〜2回は見に行こうと思います。 それくらいの価値はある写真展です。
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