日々あんだら
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このババロアは、僕と妹とキミコさんの3人で食べた。(笑)
パラボラ、って名前のカフェがある。 大阪・中崎町の長屋を改装した小さなカフェだ。 僕が最初に入った中崎町のカフェで、R cafeと並んで僕が大阪時代に一番よく通ったお店だ。
僕がそこに初めて入ったのは、モモさんの個展を見に行った時。 その時初めて会ったモモさんにパラボラに連れて行ってもらった。 入ってすぐの窓際の席に座って、コーヒーを頼んだと思う。 奥から出てきたおねーさんの声がえらいしゃがれていて、ちょっとびっくりした。 その時は喉を痛めてたらしい。(笑) そのおねーさんがキミコさんだった。
パラボラはとても不思議なお店で、ただでさえゆっくり時間の流れている中崎町の中でも、 さらに時間の流れが遅い場所だった。 友達と行くと確実に長居してしまう。一人で行ってものんびりできる。 (ウチの妹は初めて連れてった時に2階のソファー席で熟睡しやがった。笑) 窓は東向きだけど、午後になると向かいの家の壁に光が当って、 なんとも言えない柔らかい光が窓から差し込んで来る。 だからこのお店でお茶しながら向かいに座る友達を撮ると、とても美しく写る。 集まってくるお客さんたちもいい人が多くて、 隣のテーブルの見知らぬ人と仲良くなったりすることも日常茶飯事だった。
ご飯もおいしかった。 僕が好きだったのは豚の角煮丼と鳥ごぼう巻き丼。だいたいいつもこの2つを両方注文していた。(笑) デザートのオススメは1日限定5食のババロア!! これが絶品で、僕が今まで食べたスイーツでTOP3には入る。 (ちなみに誕生日に予約したら、通常の約5倍のビッグババロアを作ってくれる。↑上の写真のやつ。時価!) ババロアが不幸にも売り切れてた時にはわらび餅を注文した。これもトロトロプルプルで絶品。 でも残念ながらカレーが無かった。 「キミコさん、カレーもメニューに入れてよ!」ってカレー大好きな僕が言うと、 「でもカレーは匂いが強いやろ?この小さなお店じゃ店中に匂いが広がってしまうから…」って苦笑していた。
そんな感じで、素敵なカフェの多い中崎町でも、人がひっきりなしにやってくるお店だった。 きっとみんなキミコさんに会いに行ってたんだと思う。 気さくで、喉の調子は良くてもやっぱりしゃがれ声で、その声で良く笑った。 雨の平日とか、他にお客さんがいない時には、僕の向かいの席にやって来て一緒にお茶を飲んだ。 馬鹿話もすれば、愚痴も聞いてもらったし、相談に乗ってもらったこともある。 一度、酔い潰れて行って、1階席で爆睡してしまったことがある。 閉店時間をだいぶ過ぎるまで寝かしていてくれて、「1階で寝た人はhideくんが初めてやわ」って笑われた。
今にして思えば、頼りになる姉、みたいに思ってたかもしれない。 他にもそう思う人はいたみたいで、近くのお店の店長さんが相談に来ているのを見かけたこともある。 本当に、あの頃のパラボラはみんなの溜まり場だった。
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そんなキミコさんが数ヶ月お休みする、と聞いたのは、僕が通い始めてから1年と少し経った秋の頃だった。 キミコさんは昔から心臓が悪かったそうで、何度目かの手術を受けることになったのだ。 その手術と療養期間の間、半年くらい店長を他の人に代わってもらって春頃に復帰、という予定。
常連さんでキミコさんと仲のいい勾玉さんが企画して、みんなでいってらっしゃい会をすることになった。 当日、梅田の居酒屋には30人くらいの常連さんたちが集まった。 知ってる人も知らない人もいたけど、そこはそれ。キミコファン同士、仲良くなるのは一瞬だった。 みんな、「店長と常連客」ではなくて、「友達」としてキミコさんと接していたと思う。 すごく楽しい数時間を過ごして、最後にみんなで記念写真を撮ってキミコさんを送り出した。
…って言ってもその後すぐに入院したわけではなく、病院のベッドが空くまで少し時間があった。 そんな時期はパラボラを覗くとよくお客さんとしてのキミコさんを見ることができた。(笑) おれ、キミコさんのツケでコーヒー飲んだことあるんだぜ♪ 多分パラボラ常連でもそんなにいないんじゃないかと思う。(笑)
「ウチの2Fをギャラリーに改装したから、休む前にhideくんに写真展してもらいたかったんやけどなぁ」 って言われたので、「じゃあキミコさんが帰って来たらおかえり展示をやりますよ!」って約束した。
キミコさんが入院してしまうと、パラボラに通わなくなった常連さんもいたみたいだけど、 僕は結構行っていた。 キミコさんがいない間にパラボラが淋しいお店になっちゃうのは嫌だったし、 代理店長さんも頑張ってて、どのメニューもキミコさんの味だったし。
そうやってキミコさんの帰りを待ちつつ、おかえり展示は何にしようかいろいろ考えた。 そう言えばキミコさんが僕の写真を気に入って「これ欲しい!」って言うのであげたことが何度かあった。 それは空の写真が多かったような気がする。 よし、展示のテーマは「空」にしよう!パラボラの壁という壁を空の写真で埋め尽くそう。 そう思ってパソコンに「空」という名前のフォルダを作り、気に入った空の写真が撮れるたびに入れていった。 キミコさんへの年賀状にもそう書いて送った。
でも、次の春が来てもキミコさんは戻って来なかった。
状況は全く聞こえてこなかった。 ただ、もう少し入院が長引きそうだ、ってことだけ。 手術の場所が場所だけに心配だったけど、その内あの笑顔としゃがれ声に会えるだろうと思っていた。
そんな中、パラボラの店長がまた交代することになった。 代理でやっていた店長は元々数ヶ月の約束で来ていた人。そんなに長く引っ張れるはずもない。 新しい店長がやって来て、3代目パラボラが開店した日、お店の前まで行ってみた。 表の看板に書いているメニューには、「カレー」があった。
ああ、ここはもうパラボラじゃないんやな。
それから一度も、あのお店に入ったことはない。
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それからまた月日が流れ、僕は東京に転勤になった。 年賀状を兼ねた転居通知は、もちろんキミコさんにも送った。 退院したら遊びに行くからすぐ連絡してください、と書いた。 これだけ入院が長引いてるってことは、さすがにもう客商売はしんどいだろう。 でも、一緒にお茶するだけでも十分。それが無理なら病院にお見舞いに行くだけでもいい。
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先週末。 僕は大阪に行った。目的は自分も出展していた凛展を見るため。 ギャラリーに向かう前に友達とご飯を食べようと待ち合わせしていた僕の携帯に、 モモさんからメールが届いた。
「キミ子さん今朝亡くなられたの聞いた?」
一瞬、梅田の雑踏の音が消えた。
薄々覚悟はしていた。 いつか帰ってくるはず、いつか一緒にお茶できるはず、そう信じてはいたけれど、 手術からもう3年近かったのだ。
あとから聞いた話だと、手術は成功していたらしい。 でも、手術からずっと眠り続けていたそうだ。そして、そのまま目を覚まさなかった。
こんな時に「よかった」という言葉を使うのは適切ではないのはわかっている。 でも「大阪に来てる時でよかった」って瞬間的に思った。 3年間の眠りの末が、僕が会いに行ける時で本当に良かった。
夜の予定をキャンセルさせてもらって、モモさんとチャボンと3人でお通夜に行った。 この3人で会うのはすごく久しぶりで(バラバラに会うことは何度かあったけど)、車中の会話は盛り上がった。 キミコさんの思い出話は本当に楽しいことしか出てこない。
斎場に入ると、もう読経は終わっていて、僕らもご焼香をさせてもらった。 その後、3人並んでパイプ椅子に座った。 遺影は、やっぱり笑顔のものだった。キミコさんには笑顔しか似合わない。 昔見た時には全然思わなかったのに、こうして見るとお母さんとホントそっくりだった。 チャボンはうつむき、モモさんはずっと鼻をすすり上げていたけど、やっぱり僕は泣けなかった。
最後に、お顔を見せてもらった。 ふっくらしていた頬がほっそりしてしまってはいたけど、その頬から生気が無くなってはいたけど、 でも想像してたよりずっと綺麗なお顔だった。 3年間、眠っていたんじゃない。3年間、生きてたんだ。って思った。 それ以外の言葉は言いたくなくて、「ありがとうございました」とだけ心の中で言った。 キミコさんとパラボラのおかげで、その後の僕の人生は何%か増しで楽しいものになった。 それがどれだけありがたいことか。
帰りの車の中で、僕が何か言われてモモさんの頭をはたいた。(暴力ちゃうよ!ツッコミやってば!!) 「キミコさーん、hideちゃんがいじめるーーー!!」って言うモモさんはまだ少し鼻声だった。 「あ、ずるっ、キミコさんにチクるか!?てか、今のはモモさんが悪いやろ!」と反論すると、 「キミコさんはモモの味方やったからなー」ってチャボンが笑った。 あぁ、そう言えばそうやったね。^^;
その翌日、夜中に自宅に帰って来て、着替えもせずにパソコンを立ち上げた。 そして、数百枚の写真が溜まっていた「空」のフォルダを消去した。 僕が空の写真だけで個展をすることは、もう決してない。
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身近な人が亡くなるたびに、いつも自分が死ぬ時のことを考えてしまう。 僕が死んだ後、みんなは僕の思い出を笑顔で語ってくれるだろうか。 泣き顔は嫌やなー。しかめっ面やったらどうしよう。^^;
誰か1人でも「hideに会えて良かった」って思ってくれたらいいんだけれど。 僕がキミコさんにそう思っているように。
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