日々あんだら
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2008年07月20日(日) 4年越し




今日はリコちゃんにモデルをお願いして撮影をしてきた。
場所は所沢・小手指。
昔、所沢に住んでいた頃に良く通った場所だ。
写真を始めたばかりの僕が、一番足繁く通った場所が航空公園なら、二番目によく通った場所がここだった。

当時、度々来ては森の景色を撮りながら、「ここに人に立ってもらって撮りたいな」と思っていた。
頭の中では「こういう感じの人が合いそうやなぁ」ってイメージもぼんやりとあった。
人を撮ることに不慣れで、誰かにレンズを向けることさえ緊張していた頃の話。
でも、その頃から人を撮りたいという欲求だけはあったらしい。(笑)




昔、ある写真展会場で写真を見ながら「いろんなかわいい子と友達で、ずるいなぁ」って言われたことがある。
もちろん冗談半分だろうけど、その中には「モデルには困らないね」とか、
「普通に撮るだけでいい写真になっちゃうしね」という意図も含まれていたと思う。
(少なくとも僕はそう感じた)

確かに僕は恵まれている。
たくさんの人が僕と友達でいてくれる。
その中には「撮らせてもらいたいな」と思える魅力的な人がたくさんいる。(男女問わず)
そして、そういう人たちにモデルをお願いしたら、大抵の場合OKしてもらえる。
上述の人はモデルになってくれる人がいない、って以前ぼやいてたから、
その人から見れば羨ましい限りなんだろう。

でもね。
ボケーっと座ってるだけで勝手に友達が増えていったわけじゃない。
今よく会って遊んでもらっている東京近辺のカメラ仲間のうち、
去年の1月に東京に戻ってきた時点で友達だったのは104さんだけだ。
そこからたった1年半でこんなに友達が増えたのは、もちろんありがたいことだけど、
僕自身の行動がなければありえないことだった。
モデルをお願いしてOKしてもらえるような関係を築けたのも、僕のそれまでの行動の結果。
だいたい、モデルしてもらうということは、僕と長時間二人きりになるわけで、
普通に考えたら面倒くさいし嫌やと思うよ。
それをOKしてもらえるというのはホントにありがたいことだし、
そこまでの信頼関係を築けたのは非常に嬉しい。
(もちろん、モデルになってもらうために友達になったわけじゃないですよ。
 純粋にその人と仲良くなりたいから友達になっただけで、
 モデルをお願いできるようになったのはその副産物にすぎません。)


で、なにが言いたいのかというと、そういう風に人間関係を築くことも含めて「カメラマンの実力」なんだということ。
僕の写真の技術なんてたかが知れてる。
モデルさん自身の魅力に助けられて、写真の質が上がっているのは間違いない。
でも、その人と友達になれたのは僕の財産の一つ。
その財産を使って写真を撮ることに、恥じるようなことは全然ないですよ。


そういやアラーキーが素人の女性を集めて撮るってなんかの企画の話になった時に誰かが、
「いいよなー、この人は『素人が撮りたい』って言ったらなにもしなくても人が集まってくるもんな」
と言っていた。
おいおい。
それだって今までアラーキーが積み上げてきたものの結果でしょ?
最初からなにもしなくてもモデルさんが集まって来てたわけじゃないと思う。
それが羨ましいんだったら、自分も彼のような実績を数十年間積み上げればええねん。
(アラーキーと自分を並べて書くのはおこがましいんだけど)




人と人の出会いは必然、という言葉は実は嫌いだったりする。
そういう場面で「必然」という単語が使われる時、それは裏に「運命」という意味を含んでいるように聞こえるから。

人と人の出会いは偶然と、自分の意思と行動だと思う。
人なんて、誕生自体が偶然だ。
出会いも偶然によるところが大きい。
でも、最後はやっぱり自分の意思と行動。
例えば、なにかの集まりで同じ場にいたとしても、その人に話しかけないと友達への第一歩は踏み出せない。
仮に、相手からこっちに声をかけてくれたとしても、それに対してこちらから返さないと友達までには至らない。
結局最後は自分がどうしたいか、どう動くか、だと思う。




昔、「この場所に人に立ってもらって、それを撮りたいな」と思った場所があった。

4年後、そこのイメージにぴったりな人が、その場所に立ってくれた。

リコちゃんへの感謝が一番大きいのはもちろんだけど、その思いを4年越しで実現させた自分の行動も
ほんの少しは誇っていいんじゃないかと思う。

なんだかんだって、幸せな人生やな。^^


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