日々あんだら
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2006年12月13日(水) |
Camera People |
※この2人は親子ではありません。
こないだ、96さん・ようこさんから「Camera People」を餞別でもらった。 写真がなにより好きな100人の撮った写真で作られた写真集。 どの写真からも写真を楽しんでいるのが伝わってくる。 とてもいい写真集で、何度も繰り返し見ている。(たまーにしょーもない写真もありますが。笑)
僕の知っている人の写真も載っていて、よく遊んでもらってる友達や、ネット上だけだけど面識のある人や、 友達の友達とか、一方的に知っているだけの人とか。 数えてみたら15〜6人くらいがなにかしら知ってる人でびっくりした。 みんなすごいなー。 あらためて自分の友達のすごさを実感する。 名前を見ずに1枚1枚写真だけを見ながらページをめくっていても、知っている人の写真はわかる。 見たことのある写真はもちろんだけど、初めて見る写真でも「あれ?この雰囲気は…」と思って名前を見ると知ってる人だったり。 それだけその人のカラーがしっかりしているということなんだろう。 その人もすごいし、それに気づく自分にも満足。(笑)
このことを知ってたら応募したのにな。(きっとボツだったろうけど) 第2回があったら絶対応募しよう。(なんか無さげな気はするけど)
先日、ワンプラで開催されている個展を見に行った。 感想をひと言で言うと「人それぞれやなぁ」。 直視できない写真、とは言わないけど、少なくとも見て気持ちのいい写真ではない。 ギャラリーに置いてある雑誌に、その人の書いた文章が載っていて、単なるセルフヌードではないということ、 その人が写真に込めた意味や意思や意義がよくわかったんだけど、それでもなお疑問が残る。
僕は(もしくは僕のパートナーが)彼女のような状況にあったことがないので想像の域を出ないが、 もし同じ状況になったら、僕も自分と自分の周りのあらゆるものにレンズを向けるだろう。
でも。 それは人の目に触れるところには出さないと思う。
その時の自分の気持ちや状況を写真によって記録することはあるだろうけど、 それは自分自身の中にだけ留めておけばいいのではないか、と思う。 人目に晒すにしても、自分のごく近しい人にだけだと思う。 それを不特定多数の人が見に来るところに展示する意味は? 僕にはわからない。
この前も似たようなことを書いたけど、なにをどう表現するかは個人個人の自由だ。 でも、それを人目に触れさせるかどうかは、決して自由ではないと思う。 表現の自由と、公開の自由(そんな言葉はないだろうけど)は別ではないのか? 「表現の自由」のひと言でなにもかも許されるのか?
というのが僕の考え方。 もちろん違う考え方の人もいるだろうし、この展示を絶賛している人もいることは知っているけど。 公開する人、しない人、絶賛する人、酷評する人。「人それぞれやなぁ」が僕の感想。
写真には薬だけでなく毒も必要だろうけど、それにしても適量ってあると思う。
そう言えば「Camera People」、全国のいろんな人が応募した写真のはずなんだけど、 それでも100枚ともなにか似通った雰囲気があったなぁ。 まあそれは選者の好みなんだろうけど。 もうちょっと毛色の違う写真(はっきり言うと適量の毒がある写真)があっても面白かったのにな。
それが数少ない不満だ。
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