日々あんだら
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2006年06月21日(水) |
写真っておもしろい。 |
先日のDROP×DROP展ではいろいろ考えさせられた。 ああいうテーマを決めてやるグループ展って、同じテーマ(「楽しい雨じかん」)なのに各々の解釈や表現の仕方が違ってておもしろい。
ある出展者さんの作品が単純に雨を撮っているものではなかったので、お客さんの多くは首をかしげながら観ていた。 本人に聞くともちろんそういう写真を選んだ意図がきちんとあったんだけど、それが伝わる相手と伝わらない相手がいたということ。 で、搬出をしてから彼が「もっとわかりやすい展示の方がよかったのかな。伝わる相手にはきちんと伝わってるんだけど」というようなことを言っていたので、ついつい言ってしまった。
「それは結局、『理解させられない』のが悪いのか、『理解できない』のが悪いのか、ってことですよね?」
…我ながらえらそうで、かつ感じの悪い言葉だ。 (柔らかな表現を思いつかんかってん…^^;) 誤解のないように言っておくと、僕は彼の作品はおもしろいなーと思って見てたのだ。 「こういう雨の表現もあるのか!」と。 『楽しい雨じかん』ではなかったけど、少なくとも『雨』の表現としては非常におもしろかった。1枚1枚の写真も綺麗やったしね。 ああいうひねりの効いた発想をするのが苦手なもんで(なんせ今回の発想は『雨の日デート』。まんまやん…orz)、そういう観点から作品を作れるのに羨ましささえ覚えた。
結局上の言葉でなにが言いたかったのか、今でもきちんと整理できてはないんだけど、 要は「自分の表現方法」と「他人へのわかりやすさ」のバランスなんだと思う。 他人の視線を気にするあまり、自分の表現したいもの、表現方法を見失ってしまうのでは意味がない。 かと言って、ああいう場で作品を発表して他人に観てもらうのだから、 その誰かに自分の意図が伝わらないと寂しい。 そもそも「誰にも理解されなくていい」というのなら、最初から出さなければいい。
彼の作品だって、僕には理解できたし、他にも何人かきちんとわかっている人はいた。 その人数(けして多くはなかっただろうけど)で良しとするのか、 それとももっとたくさんの人に理解してもらいたいと思うのかによって 「自分の表現方法」と「わかりやすさ」のバランスを取って行くしかないんだろうな。
まあ彼も僕も結局は趣味の世界なので、別に他人に理解されなかったからといって 明日からメシが食えなくなるわけではない。 でも逆に趣味だからこそ、どのあたりでそのバランスを取って自分を満足させるのかが難しいように思う。
まあ僕の場合、こないだの個展でも今回の展示でも「ひねりなさすぎ」と一部の人に言われたし、 それはそれでどうかと思うんだけど…^^;
そうそう、表現と言えば、展示を見に来てくれていたある女性を何枚か撮らせてもらった。 いつも出原さんのモデルさんをしてらっしゃる方なんだけど、撮った写真を見せたら 「やっぱり撮る人が変わると全然違いますねー!」と驚かれていた。 僕と出原さんの写真の撮り方は全然違う。というか、どういう写真を撮りたいかが全く違うんだと思う。 以前みんなで遊びに行った時、同じ人をモデルに2人並んで撮ってたんだけど、 それでも全然違う表情や雰囲気が撮れていておもしろかった。 出原さんは気の張った、表情が決まった瞬間を切り撮っていて、 僕はその次の瞬間、張っていた気が緩んで表情が崩れた瞬間を撮っていた。 2人並んで撮っててもシャッター音が重なることはほとんどなかった。
写真ってホントおもしろいな、と思う。 出原さんもコニカミノルタのデジ一眼を使っていて基本的な絵作りは同じはずなのに、 色すらも全然違うもんなぁ。 お互い好みの色が違うので設定が全く異なってるせいなんだけど、そこまで違うのか、と。^^
ちなみに今回のグループ展で一番いいなぁと思ったのはnekoさんの作品。 他の人の作品は(僕のも含めて)『雨だけど楽しい』だったけど、nekoさんのは『雨だから楽しい!』だった。 ちっちゃい頃、雨が降ったらおおはしゃぎで外を走り回って、後からオカンによく叱られてたなぁ、 ってあの頃の雨の感触を思い出しましたよ。
一眼レフを買って、これからどんな写真を見せてくれるのか、すごい楽しみ♪^^
ちなみに本当のことを言うと、今回の僕の作品、めちゃくちゃデートっぽいですが、 実は3人で遊んでる時の写真です。 見事に3人目の気配が消え去ってるよねー。 写真ってやっぱり面白い。(笑)
ところで会場で「これ、デートっぽく見えるけど実は違うねんー」って言った時に、 「言われなくてもわかってますよ。(笑)」と笑ったパトさんを見返すのが当面の目標です。(メラメラ)
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