日々あんだら
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2005年12月01日(木) 正しいこと




会社の飲み会で2軒目に連れてかれた場末のスナック。
そこのトイレにはいろんな格言が所狭しと貼ってある。

その中の1枚をぼんやりと読んでみた。
「酒はほどほどに」とか「高望みはしすぎるな」とか、月並みな言葉が並ぶ中、
1つだけ目が止まった言葉があった。




「正しいことはひかえめに言え」




昔、友人Aが友人Bに説教しているところに一緒にいたことがある。
いや、Aには「説教」ってつもりはなかったんだと思う。
ただ、Bが間違った方向に行こうとしてるのを止めようとしてただけだったんだろう。

その場にいる誰もがAの言葉が正しいとわかっていた。
多分、Bが一番よくわかっていた。
でも、間違っているとわかっていてもどうしようもないことだってある。
人間なんて、理性と感情がケンカしたら大抵感情が勝ってしまう生き物だ。
今なら僕にもそれが理解できるから、Aを止められたかもしれない。

Aの言葉は絶対的に正しくて、そして容赦がなかった。
正しいから誰も反論できなかったし、正しい分深くBに突き刺さっていた。

「そんなこと言うたってしゃーないやん。そっとしといたったらええのに」
そう思いながら、黙って聞いていた。
(そういうまっすぐなところが好きで、Aも僕にとって大切な友達の一人なんだけど。)




他人の行動を見るとそういうことがよーくわかるんだけど、
自分のことになると全然わからなくなるのは、他のいろんなことと一緒。
僕もふと気付くとそういうことをたくさんしている。

友人を何人か泣かしてきた。

「ひでの言葉は痛いんだよ」そう言われたこともある。

つい先日も、正にBと同じような方向に行きそうに見えた別の友人に、
あの日のAと同じようなことを同じような調子で言ってしまった。
その後3時間、その友人はずーっと沈んでて、言い過ぎたと後悔したけどどうしようもなかった。




「正しいことはひかえめに言え」




頭ではわかってたつもりでも、きちんとした形にできなかったことが、
そんな場末のスナックのトイレで、明確な言葉として与えられるとは思ってもいなかった。
いい大人だったら、よっぽどの馬鹿でなければ、自分のしていることが正しいか間違ってるかなんてことは
自分が一番よくわかってるんだから。
だからひかえめに言うだけで十分伝わるはずだし、ひかえめに言ってもわからない人に強く言っても同じこと。
わかっている人に強く言うのは、相手を傷つけるだけ。


そのことがもう少し早くわかってたら、傷つけないで済んだ人が何人もいたのにな。




やっぱ真夜中は思考が暗い方向に行くなぁ。
後悔しまくり。

寝よ。^^;


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