日々あんだら
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2005年11月22日(火) 浪人時代






(今日の日記は一部讃岐弁を交えながらお送りします)

前にも書いたけど、僕は1回目の大学受験ではどこにも合格できずに浪人した。
まあウチの高校の野球部というところが、今はどうだかしらないけど
僕らがいた頃は「浪人養成所」みたいなところで。
僕が1年の時の3年生が部員8名中7人浪人した時にそのことを悟った僕は、
両親に「4ヵ年計画でお願いします」と頭を下げたものだった。
そういう意味で僕が浪人したのは「計画どおり」ということもできる。


誰に話しても「変わってる」と言われるんだけど、ウチの高校(公立)には「補修科」という浪人クラスがあった。
高校の中に浪人用の教室があって、そこで1年間、高校の先生が授業をしてくれるのだ。
授業料は公立高校並みの年間12万円強。
その前の年度にウチの高校を卒業した人間しか入れないが、
いつも定員以上の応募があるため、入科試験まである。(笑)
(中四国・九州の一部の高校でそういう制度があるらしい)

まあ、平たく言ってしまえば「高校4年生」のようなものだった。
高校の教室。
高校の同級生。
高校の先生。
そして19歳になってまで身にまとう、高校の制服。(爆)

そういえば当時、僕は島から高校へ船で通ってたんだけど、
同じ船で別の高校に通ってる1コ下の女の子が何人かいて、
4月頃、同じ船に乗って通学してたら、その子たちがヒソヒソ話してる声が聞こえてきた。

A「あれ?あの人(僕のこと)、私らより1コ上ちゃうかったっけ?」
B「え?なんで制服着てるん?」
A&B(ハモって)「…留年?」

なんでやねんボケ!とか、お前ら聞こえとるぞ!とか言いたかったけど、
まあ浪人も留年もたいして変わらんわと思って黙ってました。(笑)


そんな浪人クラス。
文系理系ひとまとめというものすごいアバウトなクラス編成で、全部で70人の大所帯だった。
教室も一番広い教室で前後に黒板があって、後ろの黒板も使って授業をすることがある。(先生が移動する)
目の悪い奴は前の方の席に固まって座ってるんだけど、後ろの黒板で授業をやられると全然見えないのだ。

そこで登場するのがオペラグラス。
先生が後ろの黒板で説明を始めると、前2列14人が一斉にオペラグラスを取り出し、
立ち上がって後ろの黒板を見るのだった。
その様子は横から見るとまるで大草原のプレーリードッグ。
それに気付いたら笑いが止まらなくなり、授業どころじゃなくなったこともあった。


だいたい浪人というのは世間一般では暗いイメージらしい。
(浪人したことある人は決してそうじゃないって言うけれども)
某教師にも最初の授業の時に「浪人時代というのは将来、履歴書にも載らない暗黒の1年だ」と言われたし、
某世界史の教師には「高校4年生」だの「冷や飯喰らい」だの「吹き溜まり」だの散々いじめられた。

そこでその暗いイメージを払拭すべく、一番最初のホームルームで我々が立てたスローガンは、


「志望校合格!」


とかではなく…




「明るい補習科、楽しい浪人生活」だった。


その時点で間違っていたということに気付くべきだったのかもしれない。


我々はそのスローガンを実行した。
授業に来る教師来る教師が、「こんなに落ち着きの無い補習科は初めてや」とか「先輩たちは休み時間も席について勉強しとったぞ」とか「お前ら、2階の職員室出たところからお前らの歓声が聞こえとったぞ!!」とか(教室は4階)、異口同音に褒め称えてくれた。(違)

夏休みも1/3くらいの生徒が学校に出てきて勉強してたんだけど、
最後尾の席7つは、机を漫画の山が占領していた。
で、常に3~4人がそこに座って「息抜き」をしていたのだった。
ちなみに僕はそこで「YAWARA!」の最終巻(29巻)に出会い、夏休みの間に全巻揃えてしまった。
夏休み明けの模試の成績をみて、「YAWARA!」29巻を持って来たやつを恨んだ。

ちなみに浪人クラスの教室にはたまたまクーラーがついていて、同じく学校に出てきて勉強している在学生(3年生)が問題集とか抱えてやってくることもあった。
先生が「暑いんやったら補修科行け。あそこならクーラーがついとるけん」とか言うて回ってたらしいんだけど。
まあ席もいっぱい空いてるし、彼らが僕らの邪魔をするわけでもないし、僕らも気にせずにのだが。

やってきた在校生たちは2時間も立たずにみんな帰っていく。
なぜなら僕らがうるさすぎたのだ。
勉強しに来ているにも関わらず、10分も沈黙が続くと「なんか雰囲気悪いな」と誰かがつぶやき(3回に1回は僕だった。笑)、そこから数十分間雑談が続く。
毎日2時くらいになると、「おい、そろそろ行こうや」と数人がテニスをしに外へ出て行き、
数十分後汗だくになって帰ってくる。
もちろん興奮してるから声がでかい。
で、後ろの席では常時2〜3人がマンガを読んでいる。
そのうち1人は朝から夕方までずーっと読んでいたりもする。

そら在校生たちも帰るってもんである。うるさいより暑い方がまだ我慢できるらしい。
この、在校生よりも緊張感の無かった浪人生たちの反応は…

「あいつらもまだまだやのー。この程度で集中力が奪われるようではいかん」

誰よりも集中力がないのをみんなが棚に上げていたのだった。(笑)


ちなみにこのクラスでは、週に1度、水曜日の5限6限ぶっ通し(110分)で科目ずつテストを実施していた。
今週は現国、来週は英語、その次は数学…みたいに。
そのテストがだるくてだるくてたまらなかったのである。だって110分ですよ?
大学入試でも一部の科目を除いて、長くて90分しかない。(今はしらんけど)
それは問題を作る方にも無理があるらしくて、明らかに問題が中だるみを起こしていたりするのである。
…先生、この問題、無理矢理つっこみましたね。。。(汗)

で、最もだるかったのが現国だった。まあ先生が爺さんで授業自体もだるかったということもある。
もっと言うと心のどこかで穏やかなその先生をなめていたところもあるんだろう。
ある冬の日、僕はとうとう耐えかねてテストをサボることにした。
あのテストなら受けても受けなくてもいいやー。70人もおったら1人くらい抜けてもわからへんやろ。
そう考えた僕は、4限後の昼休みに荷物をまとめて帰ってしまったのだった。(確か映画を見に行ったんだと思う)

すると…
なぜかその日に限って同じ考えをしたやつが他にもいたのである。

翌朝のホームルームでのほほーんと座っていると怒りの形相で教室に入って来た担任と副担が、
名簿を見ながら1人1人名前を読み上げた。
当然僕の名前も呼ばれる。

「今名前を呼ばれたやつ、立て」

普段は温厚な担任が鬼の形相なのである。
思い当たる節が思いっきりあるだけに、ちょっとドキドキしながら立つ。

「お前ら、昨日のテストさぼってどこ行っとったんや!!!!」

がーん、ばれてるやん!!(滝汗)

後ろを振り返ると、15人くらいのやつらが俯いて立っている。
おーい!そんなにさぼってたんかい!!そらばれるわっ!!!(笑)

そう、「1人2人やったらさぼっても目立たない」そう考えた人間が個々バラバラに教室を抜け出して、
結果16人もの人間がいなかったのである。
目立つっちゅうねん、それ。
どうやら後から聞いた話によると普段は滅多に怒らない国語教師が大激怒だったらしい。(ちょっと見たかった)
で、真面目にテストを受けようとしていた残りの54人に対して、大説教を喰らわせたらしい。
「お前らのせいでええ迷惑やったわ」と説教を喰らった友達が言っていた。
そらすまなんだのー。


一事が万事そんな感じだったので各授業を担当する先生方からは非常に厳しいことをいろいろ言われた。
特に世界史教師は(僕の3年の時の担任なんだけど)毒舌で有名で、よくこんなことを言っていた。

「あれですな。統計学的に70人もおったら毎年5〜6人は二浪するやつが出てくるからね」
そして教室をギロっと見回し、
「…まあ、このクラスはもっとたくさん浪人しそうやけどな」
そういってニヤリと笑うのだった。(怖いから)

ちなみに僕はこの担任に3年の初めの頃、「お前の志望校、きついなぁ。高望みやなぁ。今年1年…じゃ足らんなぁ。2…浪くらいせなあかんかなぁ」と言われたことがある。
今年1年の次に、1浪すっ飛ばしていきなり2浪かい!!とツッコミ入れそうになった。(笑)


そして、百戦錬磨の先生たちを「そんなん聞いたこともないわ!」と驚愕させ(呆れさせ)たのが、文集である。
クラス文集って、作りましたよね?1人1人のプロフィールとか、1年間の出来事とか、「○○な人ランキング」とか。
まあ、あれって高校3年生でも作ってたクラスはあったけど、
だいたいそういうのは秋頃に推薦入学が決まって暇になった人たちが中心になって作るのが一般的らしく。
でも当然だけど我々浪人生に推薦入学の枠を用意している大学などあろうはずもなく。
つまりは全員センター試験、そしてその後に控える2次試験を目前に控えた時期にせっせと文集作りに励んでいたわけである。


今にして思うと、バカ?


ちなみに「○○な人ランキング」、授業を教えに来てくれてた先生たちも投票の対象となっており、
担任と副担もランクインしていたのでコメントをもらいに原稿を持って行ったのだが、
担任は「おもっしょげなことをしよるのー。でもお前ら勉強もせえよ」とにこやかにコメントを書いてくれたらしいが、
副担は「お前ら、なに考えとんや!!自分らの立場がわかっとんか!!」と原稿を持って行ったN村を叱り飛ばしたらしい。
N村、ちなみに現国テスト大量サボり事件の時も真面目に教室にいて、現国教師から説教をくらった経験をもつ、なかなか不運な男である。(笑)


そのような艱難辛苦を乗り越え、受験直前の貴重な時間を大幅に削って、補修科のクラス文集は完成した。
タイトルは「空前絶後」にするか「前代未聞」にするかで協議した結果、
後輩たちにもこの流れを引き継いでもらいたいという思いから「前代未聞」と名付けられた。

この文集、今見返してみると当時から僕のポジションは確立されてたんだなー
ということがわかって非常におもしろい。(今と受けてる扱いが変わらない)
これ、今度日記で公開しようかと思っている。(笑)


そんなこんなで楽しかった(?)1年を経験し、70人は受験に臨んだのだった。
結果は…70人中10人2浪。(笑)
某毒舌世界史教師の予言は見事に的中し、「やっぱり勉強せんかったら落ちるんやなぁ」という当たり前の教訓を僕らにもたらせたのだった。


その後、翌年その浪人クラスに入った後輩の証言によると、「去年の先輩たちはこんなことをしていて10人も2浪した」「お前らはああはなるな」「あいつらは史上最低の補修科じゃ」と反面教師として扱われていたそうな。
それ以来未だに浪人クラスの文集は作られていないらしい。
タイトルは「空前絶後」でよかったのではないかと思う今日この頃なのである。


2〜3年後、浪人クラスの担任に会った時に「今年はどうですか?」と聞いたら、「お前ら以来真面目で大人しいクラスが続いてええんやけどの…おもろないわ」と言ってたのは「内緒やぞ」と言われたけどみんなに伝えときましたよ、先生!(笑)



ということで、今日はネタがなかったので昔の話でお送りしました〜。(汗)


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