日々あんだら
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問題) あなたは道を歩いているとY字路に差し掛かりました。 右の道を行けば1000円落ちています。 左の道を行けば100円落ちています。
あなたは右の道を進み、1000円を拾いました。
さて、あなたはいくらの利益を得たのでしょうか?
大学1年の春、『経済原論』の2回目の授業の時に出された問題である。 もちろん「1000円拾った後、引き返して左の道を進み100円も拾う」というセコイ回答や、 そもそも「それはネコババじゃないですか?」という正論を吐いてはならない。
答えは1000円、ではない。 あなたは右の道を進むことで1000円を拾った代わりに、 左の道を進んでいれば拾えていたはずの100円を捨てたのだ。
差し引きで、正解は900円の利益。 もちろん、もし左の道を進んでいれば、-900円の利益。即ち900円の損失である。 経済学の基礎の基礎。 こんなもの、わざわざ教科書に書くほどのものでもないかもしれない。
しかし、この問題の答えを聞いた時、僕は目から鱗が落ちる思いがした。 「なにかを選ぶ」ということは「選ばなかった他のなにかを棄てる」ことだということに、 19歳と8ヶ月にして初めて気付いたのだった。 それまで、そんなことなんか考えもせずに生きてきていたのだ。
意識するしないに関わらず、僕たちは毎日毎時毎分毎秒、選択を積み重ねて生きている。
あの時、あの言葉を言わなければ。 あの時、あんなことをしなければ。 「僕も参加しまっす!」というメールを思い切って送っていなければ。 あの本を買わずに、隣の本を手に取っていたら。 「大阪に行くか?」と言われた時、「はい」と答えていなかったら。 カメラをもっと本格的にやってみたいなぁと思わなければ。 あの結婚式の招待を断っていれば。 あの時、今の会社を選ばずにもう1つの方を選んでいれば。 あの時、勇気を出してあの言葉を言ってなかったら。 あの時、勇気を出してあの言葉を言っていれば。 あの大学を選ばなければ。 あの高校を選ばなければ。 野球をやってなかったら。 彼を許してなかったら。 あの時、謝っていれば。
…きっと今の僕はいなくて、全然違う人生を歩んでいるんだろう。
きっと自分でもわかっていないところで、僕は無数の分かれ道を選んでここまで来たのだろう。 その裏に、その何倍もの選ばれなかった分かれ道が落ちているんだろう。 これから先も今まで以上の分かれ道が待ち構えているんだろう。 その大部分を、それが分かれ道だと意識もせずに通り過ぎてしまうんだろうな。 1分1秒たりとも気を抜いちゃいけないんだ、きっと。
『流星ワゴン』という文庫本を読みながら、そう思った。 数年ぶりに、あの経済原論の授業を思い出した。
明日は、最近出産した友達へのお祝いを、別の友達と買いに行く。 僕の人生を変えるようなことはないだろうけど、 彼と彼女とその息子が喜んでくれるような選択をしないとね。^^
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