日々あんだら
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2005年07月12日(火) ある友達の話




今日、お客のところに行った帰り、神戸から大阪に向かう電車に座ってボケーっと窓の外を見ていたら、
ふと見覚えのある建物に目が止まった。

一瞬なんだったのかわからなかったんだけど、


ああ、あいつの住んでたマンションだ。


それは高校時代からの友人が、大学時代に住んでいたワンルームマンションだったことにすぐ気付いた。
彼とはもう2年半も会っていない。


彼とは高校2年の時、同じクラスになって出会った。そこそこ仲が良かった方だと思う。
3年の時はクラス替えで違うクラスになったけど、何の因果かまた浪人クラスで一緒になった。(笑)
あのクラスは異様に仲が良くて、未だにそのメンツで集まったりもする。
今にして思えば、浪人という「履歴書に載ることのない1年間」(笑)をともに過ごすことによる連帯感だろうか。
高校3年間のどのクラスより、その浪人クラスでの1年間が楽しかった。

大学に進み、僕は大阪に、彼は神戸に住んだ。
近くだったので、良くみんなで飲みに行ったし、6畳の僕のアパートで男女12人が雑魚寝したこともある。
そう言えば神戸の西の果てに別の友達を送って行った帰りにどーしてもトイレに行きたくなり、
夜中の2時に彼を叩き起こしてトイレを借りたことがある。
そのまま帰ろうとしたら彼もさすがに切れて「おい、それだけか!」と襟首を捕まれて引きずり戻された。(笑)

大学を卒業して地元の大企業に就職した彼とは、年末のたびに開いていた同窓会(僕がだいたい幹事だった)くらいでしか顔を合わせなくなった。
でも会うたびに「お前まだ彼女できんのか?」「お前に言われたないわっ!」などとお互いの傷をえぐり合って傷ついていたものだ。(笑)


彼と最後にあったのは、そんな同窓会の席だ。
2002年の大晦日の前の日だったと思う。
久々に会った彼は相変わらずむさくるしく、「まだ彼女おらんやろ?」「お前はできたんか?」「…うっさいっちゅうねん」と、いつもの心温まる(?)会話を楽しんだ。
「今度はお盆にも同窓会しようやー」「って、またおれが幹事?お前がやれよ!」と言って別れた。


その後、1月半ばに「きちんと撮れるデジカメが欲しいんやけど、なにがいい?」というメールが来て、
当時現行品だったCANONのPowershot G3をかなり強力にプッシュしておいた。
当時から僕は煽るのは得意だったらしい。(笑)














そしてその1ヶ月半後。
















2月の最後の日に、彼は自ら命を絶った。













何が原因だったのかは知らない。
友達の間で原因を憶測するような会話も出始めたけど、
誰からともなく「そういうのを憶測するのはやめよう」という話になって、噂はしぼんでいった。


僕が知ったのは、香川に住む友達が地方新聞のお悔やみ欄に彼の名前を見つけてかけてきた電話だった。
ちょうど、彼の葬儀の当日だった。
その日は東京に住む高校の同窓生たちと遊びに行ってたんだけど、そのことはみんなには言えなかった。
その日の内に香川に住む別の友達から、彼が仕事中に自ら命を絶ったことが伝わってきた。

この僕が「なんで?」としか言えなかったので、かなりショックだったのだろう。
大家族で育って身近な人の死は(年齢の割に)たくさん見てきていた僕だったけど、
「ショック」という意味ではこの時が一番大きかったかもしれない。


もちろん悲しかった。
彼の笑顔を見れなくなることが淋しかった。
なぜ2ヶ月前に会った時に、1ヶ月半前にメールが来た時に、それを感じとってあげることができなかったのか悩んだ。(でもその時のメールを何度読み返してみても、そんな陰はカケラも感じられない)

でもそれ以上に、なぜ彼が自ら命を絶ったのか、それが全く理解できなかった。
何を思い何を感じながら死への道を歩いて行ったのか、なぜ途中で立ち止まれなかったのか、
それがわからなかった。


仲は良かったけど、特に親友だったというわけではない。
2人で遊びに行ったことはないし、悩み事を相談したり、愚痴を聞いてもらった記憶もない。

でも1週間くらい、仕事も遊びも手につかずにふさぎこんでいたと思う。
彼がなぜ死んだのか、それが理解できなくてふと気がつくと彼のことを考えたりしていた。
さすがに1週間を過ぎた頃「これではいかん」と思い立ち、残業中に会社のパソコンから自宅のパソコンへ
自分宛のメールを送った。
そこにその時思っていたことを全部ぶちまけて、家に帰って開封せずに、どこかフォルダに封印した。
溜め込んでいたことを全部吐き出して少し落ち着いた僕は、少しずつ日常生活を取り戻していった。
(そのメールはさっき探してみたんだけど、どこかに行ってしまって見つからなかった。
多分パソコンを轢き潰して買い換えた時に、移し忘れて消してしまったのだと思う。爆)



その年の秋、僕は鬱病にかかった。
病院に行かなかったのでそういう診断結果が出たわけじゃないんだけど、
後から知った鬱病の症状がその頃の僕にピッタリだったので、あれは鬱病だったんだろう。
その時期、あの頃は全然理解できなかった彼の気持ちがほんの少し見えた気がした。

「この道をまーっすぐどこまでも歩いて行ったら、あいつと同じところに辿り着くだろう」

そんな感じがした。


それで怖くなって方向転換をし、彼のことを考えるのをやめた。
やめることができたのが、まだ健全だったということなんだろう。
それ以来はその道の入り口にすら立ったことすらない。



彼が亡くなった時、地元に住む友達は新聞のお悔やみ欄を見て、
「喪主が(父)ってなってる…」と絞り出すような声で呟いた。

すでに子供を持っていた別の友達はメールで、
「私はこの子に他人を殺させたり、自殺させたりするために産んだんじゃない」と言っていた。

半年が経った頃、お線香をあげに彼の実家へ伺った時、彼のお母さんの目はまだ赤く腫れていた。
それを見て、遺影の中で人のよさそうな、そして少し気の弱そうな笑顔を見せている彼に初めて腹が立った。



僕はいつか乗り越えられない壁にぶつかった時、なにがあっても自殺はしないと決めている。
生きてさえいればやり直せるし、周りの人にどれだけ迷惑をかけても償える可能性はある。
死んでしまったらやり直せないし、なにより周りの人に償うことのできない傷を負わせてしまう。



年に何度か、彼のことを思い出すことがある。今日みたいに。
でも思い出しても悲しかったりふさぎこんだりすることはほとんどない。
それよりも楽しかったことや、穏やかな性格の彼を切れさせてケンカしたことなんかを
懐かしく思うことがほとんどだ。
そして、彼をいじって遊べないことを少し淋しく思うくらいだ。


でもその度に、いつも彼に向かって心の中で言う言葉がある。


  お前、ホンマあほやなぁ。
  なにがあったか知らんけど、死んでもうたら終わりやんか。
  おれは、「お前の分まで」とは全く思わんけど(笑)、お前が経験したこともないような楽しいこととか、
  嬉しいこと、喜び、幸せなんかをいっぱい経験するぞ。

  へへーん、ざまみろ。
  いつかそっちに行ったら数十年分の自慢話をまとめて聞かせてやるっ。
  そん時は一緒に数十年分の写真をスライドショーで見せてやるから覚悟しとけ。(笑)


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