日々あんだら
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2005年02月25日(金) 恐怖の西武新宿線

あれは、僕がまだ所沢在住、東京勤務だった頃のことである。
その日は、今日と同じ金曜日。ちょっと蒸し暑かった記憶があるので、多分夏の終わり頃だったのだろう。

その日花金だというのに残業で遅くなった僕は、地下鉄から西武新宿線に乗り換えるべく、
高田馬場駅の階段を上っていた。
そこで同じ寮の同期とばったり出会う。彼も残業だったらしい。
「お互い大変やなぁ」とぼやきつつ、僕たちは終電2〜3本前の準急に滑り込んだ。

…というか、詰め込まれた。
さすが金曜日。終電近くの電車は飲んで帰るサラリーマンやOLや学生でごった返している。
こんな中で痴漢と間違われたら終わりである。
僕らは女性の近くを避け、僕らと同じ残業帰りらしいサラリーマンや学生風のにいちゃん、
酔いどれたじいさんたちが立っているあたりに入ることにした。



電車が動き出す。
準急で新所沢まで約40分。次に停まる鷺ノ宮までが一番長い区間で12〜3分くらいである。

電車が動き出して1分もたたない頃だったろうか。
最初に異変に気付いたのは友人だった。会話を止めて、チラチラと僕の後ろの方に視線をやっている。

ん?

僕は振り返らずに後ろの気配に神経を集中させた。


   …

   ……

   ……うう。

   …


うう?
今度は首だけで振り返って後ろを見る。

そこには、
さっきの酔いどれじいさんが真っ青な顔で俯いてうめいていたのである。


おいおいおいおい、ちょっと待てー!!!
そんな状態で電車に乗るなよーーー!!!

なんせ満員電車なのである。じいさんが暴発しそうだとわかっても、逃げることも避けることもできないのだ。
しかも電車は西武新宿線準急の最長区間を走っている。次の駅までまだ10分以上かかる!!


生きた心地もしないとは、正にこのことだった。
あんなに長い10分間が、今までの僕の人生であっただろうか。いや、ない。
じいさんのうめき声は徐々に間隔が短くなり、ハァハァという息遣いも激しさを増してきた。
明らかに上昇し続ける危険水域に、僕の向かいに立っている友人(彼は直撃を受ける位置にはいなかった)の
顔もこわばる。
…そりゃ直撃を食らった僕と、寮まで一緒に帰らないといけないのだから。

そのじいさんを囲む他の人たちもそろそろ気付き始めたようだ。
僕は背中を向けていたのでわからないが、逃げたくても逃げられない、緊迫した空気が漂ってくる。
我々にできることはそう、せめて次の駅までじいさんが耐え切るよう、神に祈ることだけなのだった。

と、

ガクン


我々の祈りをあざ笑うかのように、電車が急減速した。
乗客が一斉にバランスを崩して雪崩打つ。OLが悲鳴を上げて吹っ飛んでいく。

「……!!!」

僕たち(じいさんを囲む知らない人たちも含む)は声にならない悲鳴を上げた。
無意識のうちに体をひねり、少しでも直撃を喰らわないように祈る。

しかし、偉大なるじいさんはそれに耐えた。耐え切った。
相変わらず真っ青な顔に脂汗を浮かべながら、それでもまだ暴発はせずにうめいている。

いいぞ、じいさん!あと少しで鷺ノ宮だ!!がんばれ!!

周りの人たちの思いは一つになった。状況が状況でなければ、それは美しい光景だったかもしれない。


永遠とも思える10分間は過ぎ、やっと電車は鷺ノ宮の駅に着いた。
降りていく人の流れに乗って、僕たち(じいさんを囲む知らない人たちも含む)は一旦電車から降りた。
振り向くと、人込みの向こうに相変わらずじいさんが苦しそうな顔をしているのが見える。


お前…降りひんのか?(汗)


僕は友人とアイコンタクトをし、隣りのドアから再び電車に乗り込んだ。





再び電車が動き出して1〜2分後。

「…ベチャベチャベチャ」
「きゃーーーーーーーーーーっ!!!」


遠くの方からなにかの水音と、絹を裂くような女性の悲鳴が聞こえて来たのだった。(遠い目)




文章内に一部見苦しい表現があったことをお詫びいたします。
特にお食事中の方、ごめんなさい。m(_ _)m


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