ピコとチロの部屋
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2012年02月09日(木) |
一番、わかりあえる男性とは? |
だんだん、夫のくせが、わかってきています。
気分良く過ごすには、私自身が賢くならねばいけないと
思うようになりました。
人生とは、そう、長くありません。
人間とは『ないものねだりをする生き物』と、
ドラマの台詞で、聞いた覚えがあります。
『相手を思いやる』が乏しいですね。病気をして感じました。
最近、忘れっぽいです。これは私もですので仕方がありませんが・・。
『覚えててほしかった事を主人は忘れてました。』
そして13年ぶりにとんでもない事実も知りました。
今、子宮の心配も残っています。その日、夜間でした。
昔、助けてもらえたB市の産婦人科を思い出していました。
その産婦人科医に診察をお願いしたく感じ始めていました。
でも、何年前の事なのか、忘れていました。
私は、何年前の出来事か知りたくなってました。
お義母さんが入院で、お義父さんのお世話で田舎に行っていました。
あの頃のお話です。
不性出血です。単身赴任中の夫が帰って来た時に
国立病院へ行きました。産婦人科休診で、お義父さんのお世話に
行かねばならない私に、病院行きはその日しかありません。
自宅に帰り、市内のA産婦人科へ行きました。
癌検診です。その日の夜から便器に真っ赤な出血です。
便器が血で真っ赤です。A産婦人科へ行きましたら、
原因を探せなかったのでしょう。”子宮をとらねば・・”と言われて
B市の産婦人科を、お知り合いの奥さんから聞いて、診察へ・・助かりました。
筋腫を傷つけたことによる出血でした。
自身の親の入院ですので、13年前としっかりと覚えてました。
でも、信じられない言葉をその時、聞きました。
「介護にきてたかな?」
「お父さんは単身赴任でしょう?ほか弁の仕事はやめて医療事務は
続けたいからと、お兄さんに頼んで、病院勤務中はお兄さんらが来たでしょう?」
「そうだったかな?」
「えっ、今夜、産婦人科の話をしなかったら、お父さん、全然、覚えてなかったの?」
そして、その時、私は、ちょっと、意地悪い事を言いました。
「痛んで悩んで、苦しんでるのに、だから、お父さんは冷たかったの?」
返事はありませんでした。
痛んでて、突然、夜中に起きて、尋ねてたので、もうベッドに入り寝ました。
寝付けなかったその夜を覚えています。
私が”B市の産婦人科の件”を尋ねなかったら、主人は介護をしてた私を
永久に忘れたままだったでしょうか。
次の朝、笑顔の主人がいました。私の言い分に納得せずに、寝たのでしょうか。
そして、わかったからの、笑顔だったのでしょうか。
同じような、過ちを以前もしました。私の弁解を聞きませんでした。
私を信じなかった100万円事件は、次回、話しましょうか。(*^-^*)
「おかあさん、あの時、やっぱり介護に、来てたわ!」
「そうでしょう。行ってたから・・よく、思い出したね」
すると、とんでもない話を聞きました。
お姉さんが、介護を頼めばお金がいるから、自分がする介護代をほしいと
主人らに言ったようです。
「あの時、お姉さんにお金をあげたから、お母さんの分は、俺がもらったから、来てたよ」
えっです。
13年ぶりに知った事実です。確かに私は、主人から電話で聞きました。
”お世話で、お金をもらうつもりは、ないし、自分の気持ちがそれでは駄目だから”
と断ったのを、思い出してました。
その、介護代が主人に渡ってました。
人は体調をこわした時に、優しさ、いたわりを求めます。
言葉使いには心がけましょう。
知らずにいた方がよかったかしら・・の13年前を今回、知りました。
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