先日、テレビ番組でベンチャー投資のことが話題となって、若くて美人の女性の起業家に対するセクハラのことが話題になっていた。投資の見返りにデートすることを要求されたり、あからさまにカラダを求められるということにストレスを感じるということであり、おそらくそういう手合いもいるんだろうなとオレは視ていて思ったのである。
ところがそれがX(旧ツイッター)上で話題となっていて、ある起業家の男性が「自分の周りにはこんな人は一人もいない。偏見を助長するような報道は辞めて欲しい。」と書いていたのである。
確かにその男性の周りにはそういう人はいないのかも知れないが、それはその方が男性だからそういう誘いがなかったというだけのことであり、「女性起業家へのセクハラなど皆無である」という結論にはならない。実際にゼニと引き換えにHなことを要求するような投資家はいくらでもいると思うし、このオレも福原遥みたいなきれいなお嬢さんから「私の会社に100万円出資してくれれば・・・」と誘われれば絶対に心が動く。
自分の周りでは聞いたことがないからという理由で物事を決めつけるのは大きな間違いである。戦時中の旧日本軍の加害行為を否定したり、南京虐殺を否定する人がネット上にはたくさんいるが、その論拠は「私の知ってる兵隊さんは優しい人だった」「戦争から帰ってきたおじいちゃんは民間人なんか一人も殺したことがないと言っていた」などというとても小さな事象を論拠にしていることが多い。
実際には戦時中の日本軍の加害行為に関しては多くの記録が残っているし、海軍士官だった中曽根康広は、占領地の女性に乱暴する兵隊がいるので慰安所を開設したということを書き留めている。中国で日本兵がどんな加害行為を行ったのか、昭和3年生まれの私の父は、帰還兵の多くが武勇伝のように語るその加害行為を聞いて筋金入りの平和主義者となり、朝日新聞を購読していた。
自分が直接見聞できるような世界は狭すぎる。だからこそ我々は本を読み、いろんな人の話を聞き、テレビや新聞でニュースを読むのである。日本軍が南京市を占領したときに大量の捕虜を「処断」したのは事実である。捕虜に喰わせる食糧などなかったわけだし、軍服を脱いでしまえば兵士なのか民間人なのか見分けが付かないわけで、巻き添えで多くの民間人が殺されたことも容易に想像できる。無秩序に略奪や強姦を行った兵士は日中双方にいただろう。戦場とは理性を失った者達が殺し合いをする世界なのだから。
多くの者の声に耳を傾けよう。ある事柄の真偽を確かめるには一人の意見だけではなく、数十、数百の声を聞くようにしよう。兵庫県の斎藤知事がいくら「パワハラはしていない」と主張しても、それを受けた被害者が「あれはパワハラだった」と言えばパワハラなのである。それを決めるのは加害者ではなく被害者である。
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