この夏、オレは関東地方に旅行した。茨城、栃木、群馬というこれまでの旅行空白地を攻めたのである。袋田の滝、華厳の滝(約40年ぶり)などを訪れたのだが、そのときに東名高速道路を走っている。新東名から合流して御殿場から東名高速を走ってる時に感じたのは「なんだこのカーブは」ということだった。
同じような線形になってるのはたぶん中央道だと思う。緩やかな曲線を描いて道路が通じているのである。これは最近作られた高速道路が直線的なのと対照的である。オレは東名高速を走りながら、そこはかとなく郷愁を感じていたのである。
道路というのはできるだけ直線に作った方が所要時間も短いし、工費も安く付く。しかし、まっすぐに単調な道を走ってるとドライバーは眠くなる。昔の高速道路はそれを防ぐという意味があったのだろうかとオレはなんとなく思うのである。もちろん地形などの条件もあっただろう。
今の高速道路は力業でどんどん作られる。トンネルばかりの地下高速も増えた。そこで事故になればどうするのかとか、洪水で冠水すれば逃げ場がないなどとオレは思ってしまうのだが、そのあたりの対策はどうなんだろう。
阪神高速湾岸線が西へ延伸する計画で、六甲アイランドからポートアイランドの間は巨大橋梁でつながるらしい、大型船が航行できるように橋桁は海面から60メートルの高さだという。そんなところを走っていて突風で落とされないだろうかとオレはビビってしまうのである。もしも走ってる時に阪神大震災のような直下型地震が起きれば確実に死ぬ。橋が崩壊するかも知れない。
人間が作るこうした構造物は、永久にそのまま使えるわけがなくて必ず寿命がある。大阪では阪神高速の延命のためにあちこちで工事が起きている。一度整備された社会インフラはこれからは維持するために大きなコストを支払うことになるわけである。新しいものを作るよりも、古いものを維持するためにどう工夫すればよいかということがこれからの土木工学、都市工学の世界の課題だろう。
さまざまな新しい道路の計画を見ていて、自分が生きてる間にこの中のどれが完成し、どれが間に合わないのかなどということを考える。リニア新幹線はおそらくオレが生きているうちに大阪まで開通することはないだろう。しかし、日本という国家が衰退に向かってるというのに、こうした計画というのは必要なのだろうか。あるいは日本は衰退しても、外国人にとっては「観光地」として生き残れるのだろうか。
考えたらクルマの運転をいつまでもできるわけではない。自動運転の発達はオレの免許返納に追いつくだろうか。高速道路で「自動運転」させているクルマはどれだけあるのだろうかと、夜の高速を整然と走るトラックやトレーラーを見ながらオレは思ったのである。日本の物流はこうした方々の精密な運転技術によって支えられているのだと。
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