2023年08月12日(土) |
高校野球はナイターでやれ! |
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夏の甲子園で開催されている高校野球だが、どうして少しでも涼しい夜にやらないのだろうか。オレは「熱中症の危険」を選手にも観客にも与える今の開催形式には反対だ。開催するなら日没から日の出までの夜にやればいいと思うのである。試合時間はくじ引きで決まるからそこに有利不利はない。そして観客の輸送も阪神電鉄を試合に合わせて臨時運行すれば済むことである。
日本の夏は暑くなりすぎた。昼間、ちょっと外に出るだけでもサウナのような熱気に襲われる。そんなところで長時間活動させることは危険すぎる。試合中に熱中症による死者が出てもおかしくないのである。
オレは大学サイクリング部に居たときに夏のツアーを経験しているが、信州や北海道に行ってることが多かった。それはそれ以外の土地が暑すぎるからである。しかし、当時の日本が今のように気温が高かったわけではない。オレは1981年の北海道旅行中に北見で38度という高温を経験しているが、あまりの暑さに耐えかねて、サロマ湖畔のユースホステルから少しでも涼しい山間部へと移動している。ヒグマの出るかも知れない林道を通過して山間部を横切り、阿寒湖近くの野中温泉まで一気に走ったのである。
暑いとそれだけで体力を消耗する。オレは大学2回生の時に下関から京都までの約600キロをノンストップで走るということにチャレンジしているが、確かこの企画にオレは涼しくなってからチャレンジしている。約23時間でオレはそれを走りきっているが、部員に流行していた東京京都間ではなく、下関から京都にしたのは、箱根の山を越えるだけで体力を消耗することを知っていたからである。できるだけ平坦な道だからこそ高速を維持したまま自転車をすっ飛ばすことができる。そのチャレンジにはもちろんロードレーサーを使用している。旅行用の太いタイヤの自転車では無理だ。
大学生の頃、夏に大阪の実家から京都まで自転車で移動しないといけない時は夜に走った。ちゃんと「昼間は走れない」と理解していたからである。大学1回生の時にサイクリング部の合宿が信州で行われたが、その時には京都から諏訪、諏訪から京都という長距離移動を往復で行っている。往路は京都を夕方に出て翌日に諏訪に到着するというパターンで走り、帰路は早朝に諏訪を出発してその日のうちに京都までの330キロを走りきったのである。ロードレーサーでもなんでもないサイドバッグを2つ積んだ重量級のランドナーでそんな走りができたのはサイクリング部内ではオレだけだった。後に京都大学サイクリング部では「耐久ラン」という行事を毎年秋に実施することとなったが、その第一回の優勝者はオレである。
自転車なら走行中に風を受けるので少しは暑さをしのげる。しかし甲子園の球児たちはじっと暑さの中で守備についている。せめて試合時間を昼から夜に移してやって欲しい。これから温暖化もっと進むのである。日本の夏はいずれ居住不能なほどに暑くなるのである。今の暑さはまだまだ序の口かも知れないのだ。
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