2023年07月23日(日) |
電車内テロをどう防ぐのか? |
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鉄道やバスなどの公共交通機関は本来もっとも安全な移動手段だったはずである。自分で運転する車と違って事故の確率も遙かに低いし、移動中はのんびりスマホで遊ぶことも読書もできる。しかし最近はそうでもなくなった。車内にテロリストが出現するからだ。かつて高速バスでバスジャックをしようとした「ネオ麦茶」という少年を覚えている方もいるだろう。そして最近よく起きるのが電車内テロである。電車という逃げ場のない空間で刃物を振り回したり、ガソリンを撒いて火を付けたりするテロリストが現れ続けているのだ。こういう危険物と社会はどう対処すればいいのか。
オレは自動車通勤しているので多くのリスクを回避できている。たとえば電車で通勤する多くの男性は「痴漢冤罪」のリスクを抱えているが、オレはその心配はない。『それでもボクはやってない』という周防正行さんの映画を見たことがあるが、冤罪で捕まった時に自身の潔白を証明する手段があまりにも絶望的なことを知って、オレは「絶対にラッシュアワーの電車には乗らない」と決めたのである。
そういうわけでオレ自身はそういう「電車内テロ」に遭遇する可能性は限りなく低いのだが、だからといってこのような問題を放置していいわけでもない。どうすればこうした「電車内テロ」を防ぐことができるのだろうか。
テロを起こすのはたいてい「無敵の人」である。無敵の人というのは無職でかつ家族もなく、迷惑をかけるような身内も、守るべき家族もいない。社会の中で孤立しているわけだ。そういう人だからこそ「死んでもいい」「死刑になってもいい」「この世なんかみんな消えてしまえ」「リア充爆発しろ」などと考えているわけだ。だから答えは一つ、「無敵の人」を作らない社会ということになってしまうのである。
人はどうして「無敵」になるのだろうか。オレは今の社会はどんどん家族が解体され、人が「無敵化」しやすい状況だと思っている。高校中退者の受け皿として通信制課程の高校に在籍する生徒が増え、中には「N高」のように多くの生徒を集めてシステム的に成功している(ように見える)学校もあるが、中にはほとんど勉強していなくても安易に卒業資格を得られるところもあるだろう。結果として孤立した状況のままで社会に投げ出されてしまうのである。
人が「無敵化」しないような社会はどうやって作ればいいのか。人を無敵化するような社会の逆をやればいいのだ。ネット上で散見される無敵の人というのはたいてい「維新支持者」である。オレが見ている限りほとんどすべてそうである。だからもう結論は一つしかない。維新ジャー撲滅である。
大阪では生活保護の申請を却下された男性による心療内科のクリニックへの放火テロが起きた。公助を切り捨て、新自由主義の維新行政によるあらゆることに「自己責任」を求める「(住民が)身を切る改革」が進められていることと、今回の泉佐野での「電車内テロ」との関係がないとは思えないのだ。一人生活保護の申請を断るとパソナに6万円入る仕組みなんかを作ったのはいったい誰なのかということである。
日本は治安のよい住みよい社会だったはずだ。今の日本が諸外国に比べてまだ圧倒的に安全であるとしても、それは未来永劫続くモノでもない。きっと日本はこれからもっと劣化していく。教育現場で人が足りないということがすでに起きている。国は教育から壊れていくのである。
水谷豊がドラマ「熱中時代」を演じていた頃、小学校の先生はあこがれの仕事ではなかったのか。オレは過ぎ去った懐かしい時代のよさを思い出しつつ、フィクションでもいいからそういう幸福な学校の姿を取り戻して欲しいと願うのである。
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