2023年03月18日(土) |
維新ゼッタイ、ダメ! |
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大阪の教育行政は維新の会によって破壊されてきた。これはまぎれもない事実である。公立高校はどんどん廃校に追い込まれ、私立高校はマンモス化して教育の質が低下した。これはすべて維新が教育基本条例を改悪して、3年連続定員割れの公立高校を廃校にするという方針を打ち出し、その一方で「私学無償化の噓」で府民を騙してきたからである。
トップレベルの公立高校は大学受験のための予備校化し。定員を拡大しすぎた私立高校は細かい生徒指導ができなくなり、定員割れした公立高校は容赦なくぶっつぶされた。教育現場で働く人達、そこで学ぶ生徒達、その誰も幸せにしない悲惨な状況が大阪で起きてきたのである。この事実をオレは多くの人に知ってもらいたい。その上で。大阪の有権者に正しい選択をしてもらいたいのである。維新、ゼッタイ、ダメである。
大阪府は高校生の不登校の生徒数が日本一多い。誰もが好きな学校に行ける上に手厚い補助があるということならこんなことにはならない。実際に起きているのは教育現場の疲弊であり、不登校生徒の切り捨てであり、多くの中退者なのである。「無償化」の噓に騙されて私立高校に進学したものの、実際は多くの負担があり途中で授業料を払えなくなって中退してしまう生徒も多いのだ。正しい情報が住民に与えられてないのである。
これ以上公立高校を減らしてはならない。生徒が減ったから学校を潰すのではなく、そこで少人数学級を実現したらいいのである。教員の負担を減らして教育の質を上げる機会にすればよかったのである。ところが維新行政は生徒の減るペース以上に公立高校を減らしていった。過去10年間で大阪府の高校に入学する生徒は7700人減少したが、私立高校への入学者は4300人増加した。つまり公立高校への入学者は生徒の減少以上に減って12000人も減ったのである。
「定員割れする学校はつぶす」「生徒が集まらないのは学校に魅力が無いからだ」という競争原理を教育現場に持ち込んでいったい誰が得をするのか。そうやって機械的に高校を減らしていくことで何が起きるのか。どうか大阪府民は考えて欲しいのである。生徒は千差万別である。さまざまな家庭環境の元に育ち、その中で努力して自己実現を目指しているのである。その生徒を受け止め、どの生徒にもよりより教育環境を与えたいと現場の教員は願っている。そこに競争原理を持ち込まれたくないのだ。努力しても成績が伸びない生徒、進学実績の上がらない高校は淘汰されるべき存在なのか。それは違うとオレは言いたい。
たとえばある私立高校が「少人数教育で手厚く生徒を育てたい」と意図したとしたらかなりのコストがかかる。それで授業料を高く設定したとする。すると大阪府は「キャップ制」と称して授業料の上限を指示し、それよりも掛かる分は学校が負担しろ!と主張するのである。その一方で金儲けだけを考えて教育コストを下げ、先生方を安い給料で働かせる悪徳私学が存在するとする。そういう学校も「無償化で補助されるから」と授業料を上限まで上げてしまうのである。どうして補助額を一律にして後を受益者負担にしなかったのか。そうすれば「安い私学」「高い私学」を選ぶことができたのである。維新の教育基本条例が「無償化」という政治的主張を前面に押し出した結果、極端な言い方だが教育の質を問わずに同じ価格で提供するというむちゃくちゃなことが起きたのである。
自民党の参院議員である松川るいさんはこの大阪のキャップ制を「カローラもレクサスも同じ値段で売らせようとしている」と強く批判した。オレもそれと同じだと思う。このような間違った仕組みは今すぐに変えないとだめである。
政治は結果責任である。日本一の不登校生徒数、中退者の増加、私立の授業料が払えずにやめてしまって大検を受験する生徒の増加などを放置して今の教育行政を認めることはおかしいと思うのである。一刻も早く維新知事、市長を落として、維新が過半すを占める翼賛議会もぶっつぶし、大阪に民主主義を取り戻さないといけないのである。このままでは大阪はロシアや中国と同じ状況になってしまうのだ。
競争原理を持ち込めば必ず勝者と敗者が生まれそこに分断が生まれる。そんな状況が大阪をよくするとは思えないのである。大阪を豊かにするのは住民がみんな幸せになることではないのか。勝者と敗者を作ることではなく、さまざまな人が連帯して前に進むことではないのか。オレはクルマに「NO維新、NOカジノ」のステッカーを貼っている。このステッカーをクルマに貼ってくれる仲間が居れば俺に伝えて欲しい。
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