2022年07月25日(月) |
国葬やるならプーチンを呼べ! |
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安倍晋三の死を悼む気持ちなどカケラもないクソ野郎どもが、政治利用のために推し進めようとしている「国葬」だが、どうせやるならプーチンを招待すべきだと思っている。なぜならプーチンは、かつては安倍晋三と同じ未来を見ていた盟友であるからだ。そんな友達を招待しない方がおかしいのである。
プーチンを呼ぶことができればきちんと本人に訊いて欲しいのである。「なんでおまえは侵略戦争するんだ?」「なんでおまえの国の兵士にレイプや虐殺させてるんだ?」と。プーチン本人が否定しても「嘘こくなよこの野郎、その舌引っこ抜いたろかアホンダラ」と汚いことばをロシア語に翻訳してぶつけてやってもらいたいのである。それくらいしても、ウクライナ国民からすれば全然足りないだろう。
葬式外交やって何か役に立つのだろうか。各国の出席者はとりあえず儀礼として来るだけであり、そんなときに政治や外交、貿易について之話を持ち出す方が野暮というものである。葬式の時に大声で商売の話をしてるなんてひんしゅくを買うだけだろう。死者を悼む気持ちが全くないことを自ら語ってるようなものである。
もっともロシアでは早々と「プーチンは行かない」と決めたようである。葬式に誰が行くか、あるいは行かないかというのは行く人が決めるものであり、葬式をやる側が一方的に「参列しに来い」と要求するのはおかしい。オレはこれまでにかなりの回数の葬式に出てきたが、一度として「来て下さい」と招待されたことなどない。自分から行くか行かないかを判断してきたのである。葬式とはそういうものである。それなのに招待云々を話題にするのはおかしいのである。
台湾を招待するなら中国が来ないとか、いろいろと問題が起きるのは事前にどこが来るかを発表するから悪いのである。当日までどこが来るかを伏せておいて、そして会場で「えっ、おまえの国も来てたのか?」と驚かせばいいのである。習近平もなんとなく来てみたらそこに台湾から蔡英文が来ていて、なぜか隣の席だったとかいうふうにいやがらせしてやればいいのである。
オレがこの「国葬」を外交的に使うならば、平和憲法を持つ国としてのアピールに使いたい。ノコノコやって来たプーチンをみんなの前でつるし上げてやりたい。自分は手を汚さずに列国の代表たちがプーチンと対決できるようにさせてやればいいのだ。もっともプーチンの柔道の技でみんな投げ飛ばされるかも知れないが。
オレはこの「国葬」を「酷葬」と呼ぶことを決めている。同じ「こくそう」という発音でも、「国葬」と「酷葬」では雲泥の差である。しかしそれは漢字表記するからわかるわけで、口に出すだけではわからない。どうかより多くの人に、脳裏に「酷葬」と思い描きながら「こくそう」と発音して欲しいのである。
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