2021年02月23日(火) |
『鬼滅の刃』をやっと観た |
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録画しておいた『鬼滅の刃』をやっと観た。最初からである。竈門炭治郎が家族を鬼に殺され妹を鬼にされてしまう。その復讐と、鬼にされてしまった妹を人間に戻すという目的のために炭治郎は長く厳しい修行を続け、ついには岩を斬れるくらいの力を身に着けることになる。
いきなり家族全員を殺されるという場面は決してフィクションだけの話ではない。現代においてもアフガニスタンでは米軍の無人機の誤爆で殺された市民がいるし、内戦下の国では武装勢力によって理不尽に家族の命が奪われるということが起きている。ISやボコハラムはその活動を停止したわけではない。その時に当事者はどんな気持ちになるのか。そうした想像力を働かせてこの作品を理解すべきであるとオレは思っている。
この作品には「主人公の成長」「悲しい生い立ち」「強大な敵」「すばらしい仲間の存在」といった少年漫画にとっての魅力的な要素が揃っているうえにストーリーの面白さという部分、コミカルな部分も伴っているわけで、オレは改めて人気を得るのも当然であるという結論に達したわけである。
録画を視ていて感じたことは、けっこう難しい言い回しが自然に使われているということだった。それは主人公や登場人物のセリフである。たとえばこのフレーズだ。
「生殺与奪の権を他人に握らせるな」
オレのようにふだんよく本を読んでる人間には「セイサツヨダツ」=「生殺与奪」と瞬時に脳内変換できるし意味も分かるわけだが、多くの子どもやふだん本を読まない大人にとってはこの語句の意味は理解不能だったかも知れない。
今、コロナ禍による緊急事態宣言下という状況にあって、収入を失った多くの人々が生活に困窮している。果たして生活の困窮や失業が原因なのかどうかはわからないが、実際に自殺者が増加している現象がある。新型コロナによる死亡者は高齢者が多いが、自殺者は若者が多いという。非正規雇用という不安定な生き方を選んでしまった場合、その生殺与奪の権を握ってるのは誰か。雇用主や派遣会社でありそのような雇用政策を決めている国の側である。
竈門炭治郎が剣士として生き抜くためには、誰にも殺されないほどに強くなるしかない。物語中の「鬼が人間を食うために殺す」世界では、鬼に殺されないように強くならなければならない。それが「生殺与奪の権を他人に握らせない」である。もっとも鬼は人間ではないので「他人」ではなく「鬼」と言うべきなのだが。
この人気アニメは世界に輸出されているという。どうせならその中にもっと政治的なメッセージをさりげなく込めてくれればと思うのである。特定の民族や宗教の弾圧、そして虐げられた弱者の反撃、そして為政者の腐敗といった問題を。
映画館でまだ上映されている「無限列車編」もいずれ観に行こうと思ったのである。別にハマったわけではないが、実際に面白いことは確かだからである。
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