2021年01月24日(日) |
映画『ひとくず』〜本当のクズは誰か? |
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MOVIX堺で映画「ひとくず」を観てきた。監督、脚本、主演を一人でこなす上西雄大さんの圧倒的な演技力、そして迫力に圧倒され、117分の中で何度も涙を流さずにはいられないみごとな作品だった。
殺人事件を起こして長く刑務所にいた人をたとえば役所広司が演じるならば、おそらく「心優しい元受刑者」という描かれ方になるだろう。しかし、「ひとくず」の主演のカネマサは暴力的で、乱暴で、とにかくクズだ。こんな人間とは絶対に関わりあいになりたくないと誰もが思うように描かれている。
カネマサの仕事は空き巣狙いである。彼がある日ガラスを割って侵入した部屋には、電気も止められた真っ暗な部屋でゴミに埋もれるように身を隠している小学生の女の子がいた。部屋には何も食べ物がなく、何日も食べてない少女にカネマサはサンドイッチやジュースを買ってきてあげる。少女の胸には母親の愛人の男に虐待されてアイロンを押し付けられた火傷があり、手の甲にはタバコを押し付けられた根性焼の跡がある。カネマサの手にも同じ火傷があり、彼はその少女にかつて母親の愛人から虐待を受けた自分の過去を重ねてしまう。
親に虐待されて殺される子どもが現実にはたくさんいて、死に至らなくても何らかの深い傷を心に負ってしまった無数の人がいる。それは決して目を背けることのできない日本社会の現実であり、正しく受け止めないといけないことなのだ。救いを待っている多くの子どもがこの世には存在する。
長年の間父親から性虐待を受けていたことを娘が訴えても、裁判でその父親が無罪にされることもあるのが日本の現実だ。大人の残酷な行為に対して世間はとにかく甘すぎる。そして目の前の子どもを救うには越えなければいけないハードルが多すぎる。もしもオレが隣家の虐待を知ってその子を守るために家で匿えば、児童誘拐犯人の疑いをかけられてしまうかも知れない。
虐待は連鎖する。子を虐待してしまう親の多くは、過去に自分が虐待を受けているという。そして貧困がそこに追い打ちをかける。やりきれない明日の生活への不安をついつい身近な存在にぶつけてしまう。DVや児童虐待の原因は、多くの人々が不安定な状況で働かなければならず、労働者の多くが搾取される構造の中にも存在する。当事者だけで解決可能な問題ではない。そして子どもと向き合う教師や児童相談所の職員の努力だけではどうにもならないことが多いのだ。
オレは定年退職して自由な時間が手に入れば取り組んでみたいことがある。それは塾に通うような余裕のない子供たち、虐待を受けて居場所のない子供たちのためが無料で学べる場を提供することだ。いじめを受けていて生きる希望を無くしている子どもたちに生きるための学力を与えることだ。知識や教養はよりよく生きるため、人生を豊かにするために必要なものである。学校や親がその役割を果たせないのならば、オレのような老人が何かできないかと思うのだ。
映画『ひとくず』は、豊かなはずの日本に確実に存在する子どもたちの置かれた悲惨な状況を多くの人に訴えている素晴らしい作品である。「鬼滅の刃」のような商業主義に堕した娯楽映画ではなく、この「ひとくず」をもしも100万人の人が観てくれたならば、それは世の中を変える一つの力となるはずである。
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