2019年03月31日(日) |
いっそ「日本」を終わらせよう |
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留学生の大量失踪が事件となったが、外国人労働者を必要とする職場がたくさん存在し、実際に人が足りないという状況の中で非合法な形での就労が発生していることは事実である。今必要なことは、その実態を速やかにつかんで制度やルールをできるだけ「働く人の側」に合わせて決めることだ。どうせ政治献金をもらってる自民党の連中は「大企業に都合のいいルール」を作ろうとするだろう。しかし、実際に議員から丸投げされて法案作成をするのは監督官庁の現場の官僚であり、そこでいいものを作ってもらいたいのである。
老人ばかりになって勤労人口が減った今、社会保障の担い手となる若者が限りなく減ってしまった。結婚する人の数も激減して、このままでいくと人口は急速に減ってしまう。少子化対策と声高に言ってる人もその本音は「自分の老後を支えてほしい」という個人的な願いだったりする。
オレは日本の将来のために、日本という国が滅びないようにするにはどうしたらいいのかということを常に考えている。そこらあたりが多数派の老人たちと違っている点だ。多くの老人は私利私欲で考えてるが、オレは「自分なんかはどうなってもいい、未来の日本のために」と考えてるのである。
オレが携わる「教育」という世界で常にオレが心掛けていることは、次の世代へのバトンタッチである。自分たちが築いてきたよりよいものを次世代に受け継がせ、自分たちの世代の悪い部分をおしまいにしたい。悪い部分というのは、さまざまな利権構造や、「イナカモンドリーム」に代表されるなんら持続性のないその場限りのゼニを求めることである。
市町村合併で多くの地方自治体が借金まみれになったのは、多くの田舎自治体のトップの連中が「イナカモンドリーム」しか考えていなかったせいである。なんかデカい箱モノを作って、その経費の中から自分たちの小遣いを抜いてウハウハということしか考えず、作ってしまったあとで使われずに大きなお荷物となった施設が日本中にどれだけあるだろうか。そうした廃墟のような施設をこれからどうやって活かせばいいのだろうか。
オレは、もう日本民族というものを解体して、世界中から日本人になろうと思ってやってきた人たちとどんどんまじりあって、人種や民族というものを超えた共同体を目指せばいいと思っている。そこで暮らす人間にとって柱となる考え方が、日本国憲法の「非戦」のルールであり、どんな異文化も寛容に受け入れるフトコロの深さだと思うのである。
日本が日本という国をやめてしまって、さまざまな人種の雑居の土地となってそこに共同体国家としての「日本国」を存在させるという発想はどうだろうか。これからの日本を救えるのはもともと住んでいた日本人ではなくて、日本を選んでやってきた人たち、日本征服のためにやってきた某国の人たちのような気がするのだ。それも逃れられない未来である。
借金が1000兆円を超えて、いずれ日本政府は破綻する。社会保障ももうすぐ立ち行かなくなるし、ハイパーインフレが起きて円は紙くずになる。そんな未来に果たして「日本国」を維持することが可能だろうか。
日本が日本国であることをやめたとき、すべてが崩壊した時その未来には、世界のどの国も実現できなかったような新たな国家の形があるような気がするのである。残念ながらそれを見届けるほど長生きすることはできないのだが。
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