2017年12月30日(土) |
年賀状は滅びるのか・・・・ |
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今年の年賀状の大部分をやっと投函できた。昔はきちっとクリスマス前には完成させて元旦に間に合うように投函できていたのだが、いつのまにか横着になり、どうせ正月はヒマだから年明けに書いたらいいやということになって、今に至るのである。だから年内に出せただけでもオレにはたいしたことなのである。
オレの息子たちにはそもそも年賀状を書くという習慣がない。だから我が家ではこの年賀状という習慣はオレの世代で滅びるということになる。他の家はどうなのだろうか。メールで簡単に連絡が取れるような今、わざわざこうした手段を用いる必要がどこにあるのかと多くの方が思っているだろう。
ただ、オレの場合メアドではつながっていない知人が多くて、昔学校でお世話になった恩師とか高齢の方々はきっと年賀状くらいしかつながる手段がないわけで、そういうわけで年に一度の生存報告という感じで出しているのである。
これまでに担任したクラスの卒業生や部活動で関わった生徒との年賀状のつながりもあるし、学生時代の友人でやはり年賀状を交わす相手も居る。そういうわけでつながりのある方々には少なくともオレが生きてる限りは出し続けて、最後にオレが死んだら子どもにオレの死亡を通知する喪中はがきを出してもらおうかと思ってるし、喪中はがきの日付のところを空欄にしておいて、生きてる間に準備しておくということだって可能だろう。葬式の連絡をできるのはなんらかの形でつながっている相手だけである。そうそう、もしも死ぬまで日記やブログを継続していれば、最後に「死亡通知」を代わりに出してくれる方をお願いしておく必要がある。
年賀状という文化は遠からず滅びる。それは間違いない。
すでに手紙という文化がもはや絶滅してしまったじゃないか。手紙を書くということがそもそもなくなってしまったのである。オレは学生時代によく女の子に手紙を書いたのだし、それが愛を伝える効果的な方法であることをよくわかっていた。普通の容姿であるオレにとって、相手の心を揺さぶることのできる手紙を書けるというのが恋愛に勝つための大きな武器だったのだ。
今は手紙の代わりにメールやLINEで気持ちを伝えるのが一般的である。もしも今の時代にわざわざ手紙を利用するとするなら、それはよほどこだわりのある趣味人かストーカーかどちらかだろう。そうなると、すでに滅びた手紙文化に追随してはがき文化も滅びていくわけだ。
しかし、「文」というのは日本文化の中でももっとも美しい習慣ではなかったか。世界のどこに自分の気持ちを伝えるのに必ず「和歌」という韻文を使用した文化が存在しただろうか。(いや、もしかしたら歌で伝えるとか、オレには想像もつかない伝え方というものがどこかの民族にあるのかも知れないが)
そうした万葉集の時代からの古い伝統である「文」が滅びてしまって、そしてハガキも滅びて、すべてがデジタルツールのみになってしまったとき、何か大切なものが失われてしまうような気がしてならないのだ。
オレが昔片想いしていた相手に宛てた手紙はたぶんもう捨てられてしまってるだろう。どうでもいい男から届いた手紙をいつまでも保管してる女はいない。そんなもの引っ越しの時にゴミと一緒に捨てられているはずだ。ある程度の期間交際してから別れた女性ならどうか。きっと新しい相手と出会ったときにみんな捨てているだろう。
もしも昔オレと付き合っていた女性でたまたま今オレの日記を読んでいる方が居れば、そしてもしもオレの手紙をまだ持っているなら、一刻も早く地上からその存在を抹殺してもらいたいのである。そんな恥ずかしいものをこの世に存在させたくないのである。すべて焼き捨ててもらいたいのである。
ただ、考えたら手紙よりももっと恥ずかしいのは、オレがこうして書き続けている暴言日記の方なのかも知れない。
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