2017年12月12日(火) |
なぜDQNの子はDQNになりやすいのか? |
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昨日の記事に引き続き、DQNをテーマにして語りたい。どうして親がDQNなら子もDQN率が高いのかということである。それはやはり価値観の問題だろう。きちっと学校に休まず通い、宿題をちゃんとやって学校の勉強にまじめに取り組むという価値観がそもそもDQN家庭には存在しない。
普通の子どもは勉強するために学校に行くが、DQN家庭の子どもは学校に行く理由は遊ぶためであったり、給食を喰うためであったり、誰かをいじめて楽しむためだったりする。勉強をしないといけないという価値観はもともと存在しない。そして勉強しないことや宿題をやらないことを教師から注意されると「勉強がなんぼのもんじゃい!」とキレるのである。「うちの子には教室の勉強よりも自然の中でのびのびとさせたいと思っています」などと放言する親の子は、たいてい教室の中でものびのびと授業中に立ち歩いたり他の生徒の勉強をじゃましたりして過ごしている。
そうした価値観の中でどうしてまじめに勉強に取り組む子が育つだろうか。DQN家庭に生まれた時点でもう取り返しがつかないのである。すべてDQN親の責任である。
行政から支給される就学援助金は親がパチンコ代とかに使い込んだりする。仮に生活保護を受給していても親はその金で昼間から酒を飲んでいたりする。「働く」ということがどういうことなのかを知らずに成長するのである。そんな家庭でまっとうな育ち方をするのはきわめて困難であり、いつのまにか親と同じような価値観に染まってしまうのである。どうすればこの悲劇をなくせるのだろうか。
DQN的行動の一つが「タトゥーを入れる」ということである。そうしたことを「カッコイイ」と思ってる時点でもうアウトだ。それは日本の文化の中では暴力団のような反社会的集団の構成員の証であり、江戸時代にさかのぼっても佐渡金山で労働させられる人夫たちの腕に印として入れられたものである。親がタトゥーを入れていてそれを見て「アホか」と思うならまだ救えるが、自分もそうしたいと思ったらオシマイだ。作家のよしもとばななはタトゥーをカッコイイと勘違いして身体に入れてしまい、スーパー銭湯で入湯拒否され騒いだという事件を越したが、いくら作家でもこの行為でDQN認定である。オレが出版社の社長ならその本は全て絶版にするだろう。そんなオレは日本のタトゥーはあくまで裏社会の文化であってそれはまっとうな生き方にはなじまないものだと思っている。
DQN的行動というのはいくらでも列挙することができるが、身近なところでは歩き方に現れる。歩くときにわざと靴をパカパカと鳴らして歩く行為をオレは「DQN歩き」と呼んでいる。それは馬鹿丸出しである。紳士は静かに歩くモノである。オレはいつも音もなく歩くが別にニンジャのような修行を積んだわけではなくて、単に「DQN歩き」が嫌いなだけである。普通に歩いていればパカパカ音はしない。故意にそうした歩き方をしているのである。つまり「DQN歩き」というのは周囲への示威行動なのである。「オレはDQNだぜ!」ということを高らかに宣言してるただのアホの姿なのである。そうしたわかりやすい目印があるから、女性はそうしたDQNを決してパートナーに選んではならないのだ。うっかり選ぶとDVや浪費や離婚がもれなくセットで付いてくるのである。
DQNを社会から排除することは今の日本社会にとっての急務である。このままではDQNが日本を滅ぼすのは間違いない。何も手を打たなければ社会はいつしかDQNに覆い尽くされてしまうだろう。
オレは教室で生徒たちにいつも「DQNにだけは絶対なるな!」と強調してる。しかしきっと世の中には生徒全員DQNという学校も存在するのだろう。実に恐ろしいことである。
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