2015年08月15日(土) |
8月15日(終戦記念日)に思うこと |
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今日で戦後70年となった。戦後生まれた「戦争を知らない子どもたち」はやがて青年となりそしておっさんとなり、ついに老人世代に入った。オレがまだ小学生だった頃、天王寺の陸橋の所にはござを敷いて座る、手や足のない「戦傷者」がいて、子ども心に不思議に思ったものだった。JR環状線に乗ると、森ノ宮から京橋の間で車窓から瓦礫の山となった旧砲兵工廠の跡地が見えた。戦後20年くらいの頃は戦争の痕跡はまだ周囲にたくさん残っていたのである。
憲法に明記された「戦争をしない国になる」という不戦の誓いをオレは価値あるモノとして受け止めたし、平和のすばらしさを享受した若者だった。だからオレは文学部なんていう、戦争になれば真っ先に招集されるごくつぶしの進路を選べたのだ。
戦争をやってはいけない、これは誰でもわかる。しかし「絶対に勝てる戦争」だとしたらそこで「やってはいけない」という歯止めは働くだろうか。たとえばアメリカがイラクに仕掛けた湾岸戦争やアフガニスタン侵攻、イラク占領。これらは大国アメリカにとっては100%勝てる戦争である。だから米国民のほとんどは支持したし、日本政府もそれを支持した。その欺瞞性に多くの人達が気づきながらも表だって非難はしなかった。
日本の大都市の多くが焦土となったあの終戦から70年経って、安倍晋三は不戦の誓いを捨てて普通に戦争に参加できる国へと方向転換した。これほど大きな問題でありながらそれを国民投票にかけることもせず、閣議決定で憲法解釈を変えようとしていた。漢字もろくに書けず、誰かに作ってもらった演説原稿を読むことしかできない無能なボンクラ総理だからこそそんなことができるのだろうとオレは悲しく思うのである。
隣に平気で領土拡張しようとする馬鹿国家があれば、その国家主席とサシで語り合ってその愚を諫めることができるのが真の外交じゃないのか。国民を兵士として戦場に送るのではなくて、国民を死なせないために自分が命がけで交渉を行うのが真の国士じゃないのかとオレは思うのだ。そんなこともわからない馬鹿な国会議員や私利私欲しか考えてない腐った政治家がいかに多いことか。
昭和3年生まれのオレの父は生前あの時代を振り返ってこう言った。「自分も戦争に行って死ぬのが当たり前だと思っていた」幸いにして昭和20年8月に戦争が終わったから父は戦場に行くこともなかった。しかしもっと早く日本が降伏していれば、もっと多くの人の命が救われていたこともまた事実なのだ。
戦争に負ければ国民は全員殺されたり奴隷にされたりするのか? 近代の戦争ではそんなことが起きないことは歴史を知っていれば普通に理解できることである。敗戦国もきちっと権利を主張するし、「無条件降伏」なんてありえない。国土が焦土になる前に敗戦を認めて交渉に入るのが外交の役割である。そしてもっと早い段階ならば、戦争にならないように交渉し、おたがいの妥協できる点を見いだすのが外交の役目ではなかったか。なぜあの時、命をかけて開戦を阻止できる政治家がいなかったのか。暗殺されることを恐れる余り、軍部の暴走を食い止められなかったのは政治やマスコミの大罪だ。
今、国民はネットという武器を手に入れた。誰もがそこで意思を表明できるようになった。「高知白バイ事故」のような権力側の犯罪を少なくとも公表できるようになった。昔は隠蔽されたことが明るみに出ることで、誰がクズ警官なのかをちゃんと知ることが可能になったのだ。
権力を持つ連中は時に暴走するし、基本的に私利私欲のために動く。命をなげうって国民のために奉仕できる人間はその中でごくわずかしかいない。命もいらず名も入らず、富も名誉もいらないが正義のために、誰かを幸せにするために生きたいという真の義士はったいどこにいるのだろうか。残念なことにそうした人達は市井にいて、政治家となることもなければ官僚となることもなく、静かに日々を送っているのである。できることならオレはそうした人達と連帯したいのである。ここで発信することで世の中に正義の意味を問いかけたいのである。
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