2014年08月25日(月) |
日本は紛争地の難民を受け入れよ! |
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ロシアは堂々とウクライナ侵略を開始した。中国とロシアという二大覇権国家に共通するのは「武力によって領土拡大するのはOK」という帝国主義的な価値観である。第二次大戦が終わってそうした価値観は完全に否定されたはずなのにこのようなことになった理由として、オレは中国のチベット侵略とかロシアの北方領土不法占拠、韓国の竹島占領とかを放置した結果だと考えている。
アメリカは「イスラム国」への空爆を行ってるが、それによって犠牲になるのはイスラム国のテロリストだけではない。一般市民も巻き込まれて死ぬかも知れない。力による解決は結局は多くの犠牲を出すだけである。安倍晋三が「集団的自衛権」を行使するということは、そうした力による解決に手を貸すだけで、真の平和実現にはほど遠い。平和国家日本の取るべき道とは何か、オレはそれをここで主張したい。
日本は世界一安全で平和な国家だ。犯罪も少ないし、住民のモラルも高い。だからこそこの主張が可能になるのだ。「戦争がいやな人たちは日本に逃げてきてください」という形で、難民を受け入れるのである。
ガザ地区のパレスチナ人、ウクライナ東部のウクライナ人、クリミヤ半島で迫害されているタタール人、新疆ウイグル自治区のウイグル人、そうした人々に「戦争のない日本で静かに暮らしましょう」と提案するのだ。「困ってる人を助ける」ことこそが「武士道」であり、「義」の精神ではないのか。
かつて杉原千畝はリトアニアに逃れてきたユダヤ人に対して、政府の方針に逆らって人道的な配慮からビザを発行した。ドイツでユダヤ人が迫害されていたことは世界に知られていたのに、多くの国がその事実を黙殺し、中にはナチス支配下のフランスのように協力してユダヤ人狩りをする政府もあった。杉原千畝の行動はまさに「武士道精神」である。今日本は世界に対してその「武士道精神」を発揮する時ではないのか。アメリカの子分となって集団的自衛権に参画するなんてくだらないことよりも、もっと大きなことができるはずだ。
少子高齢化対策として、安倍首相は外国人単純労働者を大量に受け入れることを考えているようだがとんでもないことである。そんなことをすれば大量の中国人が日本に押し寄せて、いつのまにか日本は中国人に支配されてしまう。一つの国から大量に移民を受け入れることは絶対に避けないといけない。その国の移民だけでかたまって大勢力となってしまうからだ。
そうではない形、つまりパレスチナ人を1万、ウクライナ人を1万、クルド人を1万というふうに、いろんな民族を少しずつ受け入れていくのだ。そして日本の社会に溶け込んでもらうのである。
日本というのは宗教に対して寛容な国家である。日本には八百万の神が存在する。そこにイスラム教を信仰する人々が加わったところでなんら問題はないのである。大都市にはもっとモスクを建てればいい。そうしてイスラム圏の人々とも共生を図るのだ。
難民の中で農業をしたい人には、耕作放棄地になっている山村を斡旋すればいい。放置すればどうせ多くの山村は無人になって滅びていくのである。北海道の下川町みたいに山を林業資源の宝庫と見なして町を活性化できるようなモデルはごくまれであり、ほとんどの田舎の山村はこのまま無人となって廃村化していく。今すでに高齢者しかいないような地区は、その高齢者が死ねばもう無人になるしかないのだ。まだ住民がいるうちに難民を受け入れていくことで村を救うことができるのである。
アメリカはベトナム戦争時にラオスの山岳地帯に住む少数民族をゲリラ兵として利用したが、戦争が終わってからは彼らに対してろくな補償をしなかった。そのために少数民族の多くが報復に遭って殺されたりした。イラクでフセインを追い出した結果、イラクの政治が未だに混乱し続けてることからもわかるように、アメリカは破壊だけして後始末しない国なのである。日本がアメリカの占領下から立ち直ったのは日本国民に復興への強い意志が存在したからである。アメリカに破壊された国の中で日本のような例は本当にレアケースなのだ。自力で復興する意志を失った国民は援助だけで食べていく無気力な状況に陥っていく。そこに大量の武器が存在すれば、治安は悪化し、街には強盗団が闊歩し、もはや平穏な市民生活は二度と戻らないのである。日本が「集団的自衛権」という概念でアメリカの軍事行動に協力するということは、そうした破壊に手を貸すだけである。
日本が世界に平和国家を標榜するためにやれることは一つ。それは日本が非戦国家であることをアピールし、戦争で犠牲になった多くの人々を受け入れることを表明することしかない。アメリカ、ロシア、中国という世界のならず者どもの後始末を、平和国家である日本が一手に引き受けることを高らかに宣言するのだ。一国平和主義を世界に向けてアピールするのである。日米安保条約みたいなイカサマによって国を守ることはできない。真に日本を守れるもののは世界に向けて発信する「義」の精神である。日本に向けてケンカを売るということは、世界中から「不義」と見られるということなのだ。
戦争がないだけではなく、犯罪の少なさや人々のモラルの高さも日本が世界にアピールできることである。多くの難民を受け入れるにあたってぜひとも実施してもらいたいことは、入国時の指紋やDNA情報の登録である。そしてこの登録作業は日本国民に対しても同時に行うのだ。国民総登録制を同時に完了してしまうのである。すべての国民はDNA情報、指紋情報を含めた個人情報を登録し、そのデータが入ったIDカードを所持する。IDカードにはキャッシュカードやクレジットカードの機能も与えた万能カードとして使用できるようにし、ただ本人以外は100%使えないようにPW以外の認証手段を付与するのだ。
全国民がDNA情報まで登録されているので、犯罪を行えばたちどころに誰が容疑者かはわかるようになる。性犯罪の場合は特に顕著である。窃盗事件でもなんでも、現場の遺留物からすぐに犯人にたどりつけるようになるのだ。日本国民から「犯罪を行ってもバレない権利」を完全に剥奪して、日本では犯罪をしても逃げることが不可能であるということを世界に宣伝するのである。
こんなことを主張すれば、指紋登録やDNA登録に対して馬鹿サヨクの人権屋の連中とか福島瑞穂が文句を付けるだろう。しかし、この仕組みが実は弱者を守るために機能するということを連中はわかってないのである。
納税者もきっちりと管理されるので、脱税もできないし隠し口座や偽名口座も摘発される。年金の掛け金を払ってない人もちゃんとIDカードに履歴が残る。学歴も職歴も結婚歴も含めた形で個人情報を一括管理するのである。それは「国家による管理」というよりは、「国家による国民の保護」なのだ。すべての国民が幸福な生活を送るためには、国家の管理から漏れ落ちた人があってはならない。就学年齢になっても存在が確認できず、実は殺されていたという子どもたちが次々と発見されたが、国家がきちっと出生後のことを追跡調査できなかった背景には「個人情報の保護」と言いつつ、管理・登録するという業務をサボっているという実態がある。そもそも通常の市民には保護しないといけないような個人情報はあまりないのである。むしろオープンにするべきなのだ。
日本は世界に向けて自国が平和国家であることを発信せよ。そのために最も効果があるのはこの難民受け入れである。アメリカやロシア、中国という覇権国家の尻ぬぐいを淡々と行うことで、日本の国際社会での立ち位置をはっきりさせるべきである。
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