2014年02月10日(月) |
世間はなぜ偽ベートーベンを必要としたか? |
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佐村河内守氏が実は自分で作曲していなかったことや、実は聴力障害などではなかったこと、そして実際は彼の曲とされたものはゴーストライターの桐朋学園大非常勤講師、新垣隆氏の作品だったことが明らかになって大騒ぎになっている。CDを発売していた日本コロムビアや各出版社はそのCDが販売中止や回収となったことで大損害を受け、損害賠償の訴訟を起こそうとしているという。
単なるクラッシック音楽の楽曲ならばそれほど売れることもなかったCDが、「現代のベートーベン」などという付加価値をつけることで馬鹿売れして、それに音楽業界も乗っかっていたわけだが、すべてイカサマだったことが判明して関係者は対応に追われているわけだ。しかし、「売れるスターを作るためのイカサマ」というのは音楽業界では昔から存在したわけである。今回の「偽ベートーベン」が実に巧妙だったために長期間にわたって多くの方々をうまくだまし通してきたことに関して、オレは「なぜ誰も疑わなかったのか」という素朴な疑問を抱くのである。
障害のある人が障害がないように振る舞うのは困難だが、健常者が障害者として周囲をだますのは過去の事件でいくつもある。医師の協力さえ得られればニセ障害者は簡単に作ることができるのかも知れない。和歌山ヒ素カレー事件の被告、林真須美が自分の夫を身体障害一級と見せかけ(もちろん医師と共謀してだが)、生命保険金をだまし取ったということがあった。札幌には聴覚障害をでっち上げてた医師がいた。おそらくこの世にはそうしたやり方で障害者年金を不正受給している例がたくさん存在するのだろう。
売れない俳優だった佐村河内氏は、新垣氏と出会って「偽ベートーベン」になるという壮大な物語を思いついたのだろうか。自分を高く売るために壮大な付加価値をくっつけるというその企みは途中まではうまく行っていたし、少なくとも十数年は世間を欺き続けることが可能だったのだ。
さて、オレが気になるのはすべての種明かしが済んだ後のことだが、佐村河内氏の名で新垣氏が代作した作品群の価値はこれからどうなるのだろうか。少なくとも発表の経緯がどうであっても、できあがった作品には何の罪もないわけだし、わざわざ嘘の物語を用意しなくてもこれからは新垣氏名義でどんどん発表すればいいじゃないか。少なくとも今回のゴーストライターとしての作品のすばらしさは誰もが認めることであり、偽障害者の佐村河内の稼いだゼニはすべて「日本コロムビア」などへの賠償にあてるとして、今後は新垣氏の作品として改めて売り出せばいいのである。せっかくの作品をお蔵入りさせてしまうのはもったいないじゃないか。
それともうひとつ不思議に思うのは、この二人三脚の秘密の関係の中で発生した利益の分配方法である。佐村河内氏にとって代作者の新垣氏の存在は不可欠であり、むしろ新垣氏の方がより多くの分け前を享受すべきであったのに、18年間でたった700万円ほどしかもらってなくて、今も大学の非常勤講師という不安定な身分のままであったということだ。売れっ子となった佐村河内氏との落差はあまりにも大きい。なぜ新垣氏はそのような理不尽な扱いに耐えていたのか。どうしてもっと高額の代作料を要求しなかったのか。それとも「名前が出ることよりも作品が世に出ることの方が大切」と考えていた真のプロフェッショナルだったのか。そのあたりはオレにはわからないが、これから週刊誌がいやというほど書いてくれるだろう。
ゴーストライターというと主に文章を書く方でとらえていて、芸能人やタレントの本を代作する人だというイメージを持っていたのだが、作曲の世界に「ゴーストライター」という概念を持ち込み、それがクラシック音楽のようなものだったということに世間は大きく衝撃を受けたのだが、「現代のベートーベン」として売り出してゼニを稼いだ連中の中にこのイカサマを知っていた者が何人いたのだろうか。そのあたりからバレたのかななどとオレは憶測するのである。
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