江草 乗の言いたい放題
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2014年01月27日(月) 農薬混入事件について思うこと        ブログランキング投票ボタンです。いつも投票ありがとうございます。m(_ _)m 携帯用URL by Google Fan


 2008年に中国製の冷凍餃子に従業員によって殺虫剤が混入されるという事件があった。その男の動機は待遇に対する不満だったという。日本の食品メーカーの関係者は「日本ではこういう事件は起きない」とその時に語ったが、現実には日本でも起きてしまった。マルハニチロホールディングス(HD)の子会社「アクリフーズ」群馬工場(群馬県大泉町)の冷凍食品から農薬「マラチオン」が検出された問題は、内部関係者が意図的に農薬を混入させた疑いで逮捕されるということになった。中国と同じような事件が日本でも起きてしまったのである。

 マルハの株価は暴落し業績も悪化した。経営トップは辞任することになった。農薬混入という従業員によるテロは、会社に大きな打撃を与えるという当初の目的を達成することができたのである。もう原因ははっきりしている。会社と従業員の雇用関係はここまでひどくなってしまったのだ。これは「マルハ」やその子会社の「アクリフーズ」だけの現象ではない。規制緩和によって非正規雇用が拡大し、製造業の現場で多くのワーキングプアが作られている今は日本中で起きてもおかしくない普遍的現象となったのである。

「こんな安いゼニで働かせやがって!」

という怒りを多くの人たちが共有しているのが今の日本社会なのだ。 かつての日本の企業には「終身雇用」という暗黙のルールがあった。会社というのは家族的な性格を持ち、社内の運動会や旅行なども盛んで、そこではひとつのコミュニティが築かれていたのである。正社員として雇用されれば、定年まで働き続けるのが普通だったのだ。社員というのは自分を雇ってくれた会社に恩義を感じるとともに忠誠心を誓うのが普通のことだった。そうした美風をなぜ日本企業は捨ててしまったのか。どうして「世界標準」という間違った方向に舵を切ってしまったのか。

 49歳の男が時給900円で働かされていて、どうして家族を養うことができるだろうか。どうして将来の展望を持つことができるだろうか。

 安倍晋三は日本の景気を回復させるために企業に賃上げをしてもらいたいらしい。しかし、その賃上げの恩恵を受けるのは労働者全体のごく一部でしかない。今、生活に不安を抱え日々の生活にも困っている層には「賃上げ」どころかただの「インフレによる物価高」が待っているのである。

 CANONの御手洗会長は偽装請負が発覚したときに、「ルールの方が間違ってる」と開き直った。10年間CANONの工場で働いて、CANON製品を作っているという誇りを持っている人たちが実はCANONの社員ではなかった。その方が安い労働力として使えるし、不要になればいつでもクビを切れる。いとも簡単に生産調整できるのである。

 TPPを受け入れることは、世界標準の価値観である「労働者は使い捨ての資源」を受け入れるということだ。そこにはかつての日本的な労働慣行である「会社は大きな家庭のようなものであり、従業員は守るべき大切な家族」という価値観は全く存在しない。いくらでも交換可能なただの生産資源にされてしまったのだ。

 食品に農薬を混入するというのは言語道断な事件である。しかし、このような事件を起こすことで自分を冷遇した企業やその幹部、役員たちに大きなダメージを与えることができるというのもまた明らかになったのである。つまりこのような事件は、従業員が会社に対して起こすことのできるテロみたいなものであり、ストライキのような話し合いの余地のあるものではなくて、問答無用で会社に一方的に打撃を与えることが可能なものである。

 家族に対する愛情が失われて虐待が起きる。愛校心が失われ、愛社精神が失われ、そしてもちろん愛国心だって失われていく。そうして我々の社会は多くの大切なモノをなくしてギスギスしたものになってしまった。おたがいが権利ばかりを主張して、誰かのために・・・なんてことを考えなくなった。そうして今に至るのである。

 利益追求だけが企業の目的だろうか。従業員みんなが日々の生活をいきいきとしたものとできるように、そのためになら多少利益が減ってもかまわないなどという経営者はいないのだろうか。

 秋葉原の無差別殺人にしても、今回の農薬混入にしてもその動機はきわめてよく似ている。もしも彼らの働く職場がもっと従業員を大切にして、働くことで得られる夢や希望を語り合えるような世界だったならば、事件は起きなかったはずである。そして今のように企業が非正規雇用を拡大し続けるような状況が続く限り、こうしたリスクはますます増大していくしかないのである。従業員を監視することによってテロを防ぐなんて対策は、その監視をすり抜ける別の方法を考えつくことでいとも簡単に打ち破られる。

 学生紛争の嵐が吹き荒れ、東京大学の入学試験が流れた1969年、安田講堂には次のような落書きが残されていたという。

「人間が人間であることを主張する」

今回の農薬混入事件を起こした男の行為を正当化する気持ちはオレには全くない。それによって不特定多数を死に至らせる可能性があったことを思えば断じて許せない。しかし、彼を人間として処遇するのではなく、使い捨ての労働資源としか考えてなかった会社側に全く責任がないかと言えば、そうとも言い切れないのである。


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