2012年11月08日(木) |
行為には責任を、不起立には処分を! |
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卒業式は厳粛な式典である。そこは教員が勝手な自分の主義主張をアピールするような場所ではない。国歌斉唱の時に自分は起立せずにみんなと違う行動を取りたいと考える生徒がいたとすれば、教師の立場としてそういう生徒は正しく指導しないといけない。もしもそうした生徒の出現を許せば、式典の厳粛さは失われ、生徒が勝手におしゃべりしているような騒然とした空気に支配されてしまうだろう。政治的なアピールをしたいのなら場所を弁えろということなのだ。「君が代」を否定したいのなら自分のブログでも開設して堂々と論陣を張ればいいのである。それを「式典で不起立」などという全然努力もしないでやれることをやって、まるで自分がすごく立派なことをしたかのように勘違いしてるのはオレから見ればただの情けないアホである。
東京都で国歌斉唱をボイコットした教員がいたが、それによって当人が処分を受けるのは当然の結果だと思うのである。処分を受けるのがいやならば国歌斉唱に加わればよい。ボイコットした以上、その責任を負うのは当然だ。停職一ヶ月なら素直に受ければいいじゃないか。別に懲戒免職でもないのだから。そんな寛容な処分で済ませてくれた都教委に感謝すべきだろう。オレが校長ならどれほど怒り狂うだろうか。
読売新聞の記事を引用しよう。
君が代不起立の教員停職、都に30万円賠償命令
式典で国歌の起立斉唱命令に従わず、東京都教育委員会から停職の懲戒処分を受けた元都立校教員の河原井純子さん(62)が、都に300万円の慰謝料を求めた訴訟の差し戻し控訴審で、東京高裁は7日、都に30万円の支払いを命じる判決を言い渡した。
都教委によると、「戒告より重い処分には慎重な考慮が必要」との初判断を示した1月の最高裁判決後、賠償を命じた判決は初めて。
特別支援学校の教員だった河原井さんは2006年、起立斉唱命令に従わなかったとして、停職1か月の処分を受けた。最高裁は「処分は原則、戒告が相当」として処分を取り消した上で、賠償を認めるか審理するよう高裁に差し戻していた。
南敏文裁判長は「思想・良心の自由の問題に対し、都教委は慎重に検討することを怠った」と指摘。「教壇に立てなかった精神的苦痛は、処分取り消しだけでは回復できない」と述べた。
(2012年11月7日21時04分 読売新聞)
自分のした行為で処分を受けた教員が、その処分の結果として教壇に立つ権利を奪われて「精神的苦痛」を感じたとして賠償金を求めるだなんて、なんだかな〜とオレは不思議に思うのである。罰を与えられて精神的苦痛を感じるくらいなら初めからしなければよかったのである。志の低い教師の中にはペナルティに対して「一ヶ月休めてラッキー」と思うような馬鹿もいる。今回処分を受けた教員はきっとそんなカスではなくて、「教壇に立ちたい」というやる気の溢れる教師だったのだと思うが、それならなおさら生徒に迷惑をかけないためにも国歌斉唱に加わるべきだったのだ。罰を受けた結果損をするのが生徒ならば、自分の信条には反するが国歌斉唱には加わろうと「大人の判断」をすべきだったのだ。「嫌だから歌わない」というのは子どものわがままのレベルでしかない。
問題行動をして注意されたクソガキが、「先生の注意で精神的苦痛を受けました」と親と一緒に学校に乗り込んでくれば、ただ「アホか」と思うだけだが、この不起立教諭のやってることはそれと同じレベルの情けなさである。
「思想・良心の自由」とあるが、公立学校の卒業式は宗教行事でも何でもない。ただの学校行事である。学校行事である以上、個々の教員は自分の仕事を忠実に果たして全体の運営が滞りなく遂行されるように心を砕くだけである。その式典の中で、教員自らが「国歌斉唱不起立」という問題行動を取っている姿を保護者はどのようにとらえただろうか。拍手喝采を送るだろうか? もちろん否である。
最高裁から差し戻された今回の裁判、たかが不起立くらいで停職一ヶ月は重いということだったのだろうか。オレは逆に「クビにはされないというかなり寛容な処分」と感じていたのである。いやはや、公務員の世界はお気楽そのものだぜ。
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