2012年07月27日(金) |
京都大学「学長」ではなく「総長」である! |
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第19代京都大学総長を務めた岡本道雄さんが亡くなった。オレが京都大学の入学式を迎えたのは1979年のことだからあれからもう33年以上の年月が経っているのである。その年、第一回の共通一次試験が行われ、それまで一期校、二期校に分かれていた国公立大学がすべて同一試験日で試験を行うこととなった。あの大きな改革の中心となったのが岡本道雄京都大学総長だった。
読売新聞の記事を引用しよう。
共通一次の生みの親、岡本道雄元京大学長が死去
元京都大学長で、国立大入試の共通一次試験制度の生みの親、岡本(おかもと)道雄(みちお)さんが24日、慢性心不全で亡くなった。98歳だった。
告別式は26日に近親者で済ませた。
京都府出身。京都大医学部卒。専門は脳神経解剖学。神戸医科大(現・神戸大医学部)教授などを経て、1959年に京都大教授となり、73年から79年まで学長を務めた。
75年、国立大学協会の入試改善調査委員長として、共通一次試験制度を導入する最終報告案を取りまとめた。また84年から3年間、臨時教育審議会長を務め、個性重視の教育の推進や、将来の学校教育の秋季入学制など、時代を先取りした教育改革を提案した。
神戸市立中央市民病院長や国際高等研究所(京都府木津川市)の所長なども歴任。亡くなるまで日独文化研究所(京都市)の理事長を務めていた。
新聞記事には京都大学「学長」と書かれていて、オレたち京大生がふだん使っていた「総長」とは呼んでいない。しかし、オレの心の中ではやはり「学長」ではなくて「総長」なのである。カレー好きの第23代尾池和夫総長にちなんで売り出されたカレーは「総長カレー」である。
昔、京都帝国大学だった頃、各学部が独立した単科大学であり、「総長」というのはそれぞれの「学長」(今でいう学部長)を統括する地位だった。その名残で今でも京都大学は「学長」ではなくて「総長」と呼ぶのである。
共通一時元年であるオレが大学に入学した年、新聞では「一期校」「二期校」が廃止されて試験が一発勝負になったことに対してけっこう批判があった。岡本道雄総長は入学式でこのような意味のことをおっしゃった。
「試験が一発勝負になったことに関して『やりなおしが効かない』と批判する方もあるが、そもそも人生とは一発勝負、やりなおしの効かないものではないのか。それを『やりなおしが効かない』と批判する人たちはいったい人生をなんだと思ってるのか」
せっかく現役合格を勝ち取ったオレとしては、その試験のやりなおしなんて、とうてい容認できるものではなかった。オレはその一発勝負に勝ったんだと、苦しい受験勉強の末にその栄誉をGETしたのだと思っていたからである。記述ではなくてマーク式の試験に対して「こんなものでは受験生の理解力ははかれない」と批判する人たちもいた。また試験に落ちて浪人した者が「なぜチャンスが一回きりしかないのか」と新聞に不満を投書したりしていた。
もちろん一介の学生であるオレが、おそれおおくも総長様と面と向かって対話するような機会もなく、また授業を受けるようなこともなく、すぐに総長は次の沢田敏男さんに代わったのである。大学構内に置かれた過激派の学生たちの立てた独特の書体の看板には「総長オカモト」という言葉がよく記されていたことを思い出す。
京都大学「学長」ではなく「総長」である。なぜなら京大生はいつも「総長」と呼んでいたからである。理由はそれだけだ。岡本道雄総長、入学式であなたが語ったことばを、33年経った今もちゃんと覚えているオッサンがいたということを伝えたかったぜ。
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