2011年07月11日(月) |
SF作家にあこがれた頃 |
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まだ中学生だった頃、オレはSF作家になることにあこがれていた。小松左京、星新一、筒井康隆、半村良、豊田有恒といった方々の作品をむさぼるように読みあさり、そして自分でも書いてみたりした。中学3年の時にちょっとした事情で転校するのだが、その転校先の中学校にはたまたま文芸部があって、そこでSF小説の習作を発表したりしていた。受験勉強をしなければならないのにそんな余裕があったことが不思議である。
高校生になってからはSF以外の小説も読むようになった。渡辺淳一とか、安部公房とか、北杜夫とか。そうして医学部出身の作家が多いことを知って、また受験勉強の頂点が医学部なんだと単純に思っていたこともあって、自分もなんとなく医学部→医師→作家というパターンを目指そうと思い、ただ小説ばかり読んでいて勉強をさぼったせいで成績が低迷したオレは地方の医学部を目指していたのである。信州大学医学部が第一志望だった。高校2年の夏頃までは。夏になるといつもサイクリングで信州に出かけていたからだ。
ところが信州大医学部の受験科目がなぜか生物必修になった。物理と化学の2科目が得意で大きな得点源だったオレは困った。必ず点数が取れる得意科目を一つ捨てて、ほとんど勉強していない科目の勉強を新たに始めないといけない。そんな単純な理由からオレの信州大医学部受験は挫折した。
だったら地元の大阪市立大や阪大の医学部を受験すればいいのか。オレは無謀にも一時期、京大の医学部を受験しようと思っていた。家の経済状態から絶対に現役で合格しなければならないオレにとってそれはかなり無理なことだった。もしも浪人してもよいという選択肢が自分にあればそのプレッシャーを乗り切れたかも知れない。しかし、オレは「美少女に片思いする」という間違った形で自分を鼓舞しようとしたのだ。それが破れた時にどうしようもない閉塞状況に陥ることも思い至らずに。高校3年の秋、オレは失意の中で医学部をあきらめ、小松左京や大岡昇平や高橋和巳の後輩となるために京都大学文学部へと進むことを選んだのである。
SF作家になる夢は捨てていなかった。しかし、筒井康隆の著書を読む中でSF作家というものが作家の中でも一段低いカテゴリーに分類されていて、芥川賞・直木賞といった文学賞では相手にされていないことを知った。筒井康隆は何度も直木賞の候補になりながら落選していた。もっとも彼は「日本列島七曲がり」みたいなハチャメチャな作品を書いていたので偏見も強かっただろう。小松左京の「日本沈没」もベストセラーになったが、直木賞の候補にもならなかった。ただ、当時読んだ筒井康隆の「乱調文学大辞典」の巻末付録に「あなたも流行作家になれる」というのがあって、そこで歴史小説や時代小説というジャンルがねらい目だとあったのでオレは大学の専攻を迷わず国史専攻に決めたのである。その国史専攻の学生が集められた顔合わせの時に、重鎮だった岸俊男教授の前でオレは「歴史小説を書きたいのでこの専攻にしました」などと平然と答えていたのである。今考えるとただのアホである。
その後オレは多くの歴史小説、時代小説を読み、そこで出会った隆慶一郎を「時代小説の神」とあがめるようになった。すばらしい作品に出会えば出会うほど、自分のような凡人にはとてもこんなものは書けないという気持ちになった。そのうちオレは大学を卒業して田舎教師になってしまった。いつしか、SF作家へのあこがれはどこかに逝ってしまったのである。
そうそう、大学生の頃はペーパーバックで海外SFもむさぼるように読んだ。ロバート・A・ハインライン、フランク・ハーバート、アイザック・アシモフといった作家たちである。そんなところで受験勉強は役立ったのである。 フランク・ハーバートの『デューン』を知るオレは、「風の谷のナウシカ」がそのパクリであると信じて疑わない。SF小説を読めば読むほど、そしてその深淵に触れれば触れるほど、自分からSFは遠ざかっていったのだった。
一方、何かを書いた結果名前入りで自分の書いたモノが世に出ることに小さな喜びを感じたオレは、その後朝日新聞の投書欄の常連投稿者となり、やがてパソコン通信上で駄文を垂れ流すようになるのである。ただ、書いていてわかったことが一つある。それは大きな一つの勘違いが修正されたことだ。作家になれば大金が手に入ってウハウハだと思っていたことである。そうして潤っている人たちはごく一部であり、しかもその収入というのはきわめて不安定なものでしょせん零細自営業者なのだということ。そして資産をどんどん増やしたいならば投資の方が遥かに確実だということである。
先日、オレはこの日記で「蚊がもしも人類との共生を選んでいたら・・・」ということを書いた。かなり頭の中味は老化して衰えたが、そうしたくだらないことを思いつく部分はまだ健在なのかも知れない。オレのWEBサイトにはこれまでに書いた多くの駄文とともに唯一の長編小説『イノコ』も置いてある。これからもオレは書くことを続けるだろう。自分の行き着く先がどこなのかもわからないままに。
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