2010年09月19日(日) |
書評『終わらざる夏』 〜浅田次郎 |
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終戦記念日の8月15日に戦争は終わったはずである。しかし、千島列島の北端、ソ連と海峡を隔てて国境を接する占守(シュムシュ)島に、ソ連軍が上陸してきたのは8月18日だった。そしてこの北辺の島々には、米軍が千島列島伝いに侵攻することを想定して帝国陸軍一個師団、2万3000人の精鋭部隊が配備されていたのである。ところがサイパン、テニアンが陥落して日本本土が空襲にさらされるようになるともはやこの北辺の島の戦略的価値はなくなった。それでも精鋭部隊がこの島に残されていたのは、もはや制海権も輸送用の艦艇も失った日本軍はこの島の部隊を移動させることもできなかったからである。
浅田次郎はあえてその戦闘を描かずに、その戦闘の背後にあった人間ドラマを描ききることで戦争の悲劇の本質を伝えようとした。その戦闘に突然巻き込まれることになったのがどのような人たちだったのか、それを彼は描いたのである。召集令状は容赦なく大切な人を連れ去っていく。後に残された年老いた母や妻子は、明日からの日々をどうやって暮らしていけばいいのか。誰が田畑を耕すのか。誰が一家の生計を支えるのか。戦場で死ぬことや空襲で死ぬことだけが悲劇ではないのだ。
函館高女を卒業して、占守島の缶詰工場で女子挺身隊員として働くキクが、函館が空襲に遭ったと知ってこのように若い方面軍参謀に詰め寄るシーンがある。
「もし家族が皆殺しの目に遭ったとしても、戦争なのだから仕方がないと思います。でも本当のことを知らなければ、私たちは腹のくくりようがありません。戦争が不幸なのではなく、事実を伝えられないのが不幸なのだと私は思います。参謀殿には戦争を完遂するお努めがありますが、私には級友たちを動揺させずにまとめ上げる義務があります。どうか本当のところを教えて下さい。」
「家が焼けようが、親兄弟が死のうが、私たちは働き続けます。ここで越冬せよと命じられたらそういたします。一等残酷な仕打ちは、真実を知らずに戦うことだと思います。けっして骨惜しみはしません。命も惜しくありません。どうかお答え下さい」
東京外大を出て出版社に努める片岡直哉は、いつかヘンリー・ミラーの作品を翻訳することを夢見ていた。徴兵年限の45歳まであと一ヶ月だった彼のところにも召集令状が届く。英語が使える通訳要員として彼もまた北辺の島に送られることとなった。
人を殺して服役していたヤクザの萬助にも召集令状が届く。刑期が短縮されて徴兵されるのである。ところが萬助が入営する前に戦争は終わる。彼は軽井沢で玉音放送を聴くことになる。東京に帰った萬助は疎開先から脱走した二人の子どもを上野駅まで送り届け、子たちにこう語る。
「戦争に勝ったも敗けたもねえからだよ。そんなものはお国の理屈で、人間には生き死にがあるだけだ。アメ公だってそれは同じさ。勝ったところで親兄弟がくたばったんじゃ、嬉しくも何ともあるめえ。だから敗けたところでくやしいはずはねえんだ」
「二度と、戦争はするな。戦争に勝ちも敗けもあるものか。戦争をするやつはみんなが敗けだ。大人たちは勝手に戦争をしちまったが、このざまをよく覚えておいて、おめえらは二度と戦争をするんじゃねえぞ。一生戦争をしねえで畳の上で死ねるんなら、そのときが勝ちだ。じじいになってくたばるとき、本物の万歳をしろ。わかったか」
浅田次郎の作品の魅力はなんといっても登場人物の台詞にある。これまでその一つ一つのフレーズにどれほど感動させられただろうか。この夏、オレはこの作品『終わらざる夏』を読了した。読み終えた後でオレが真っ先にしたことは、もう一度最初から読むことだった。
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