2008年12月10日(水) |
書評『とんび』〜重松清 |
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オレはきっと駄目な父親の代表のような気がする。太宰治の小説「桜桃」には「子供より親が大事、と思いたい。」というフレーズがあるが、きっとオレも「桜桃」に出てくるお父さんのようなどうしようもないオッサンなんだろう。そんな自分だから、自分にないものを持った主人公に惹かれるのかも知れない。重松清の小説「とんび」は我が子への溢れる愛情を抱えながらも不器用でうまくそれを表現できない父親と、そんな父親を深く愛する息子の物語である。
親の、子に対する無償の愛を描く重松清の表現はお見事であると言うしかない。「そ、そんなことまでするか・・・」なんて思ってしまうのは、オレが愛情薄い父親であるせいだけとは思えない。この作品で描かれる父親の姿は、息子という存在をまるで片想いの恋人のように愚直に愛し続ける男なのである。
男が不器用に生きるとはどういうことなのか。周囲と衝突し、思い通りにならないときは酒を飲んで忘れ、言いたいことがあってもなかなか口に出せない。挙げ句の果ては心にもないことを言って相手を傷つけてしまう。そして後悔してもなかなか素直に謝ることもできない。そんな不器用さをこれでもかこれでもかとこの小説の主人公であるヤスさんは見せつける。なんであんたはそんなに不器用なんだ。どうしてもっと楽な生き方ができないんだ。なんでそんなに頑固なんだとオレは読んでいて思うのである。しかし、それがこの主人公の魅力でもある。
もう一つ、オレが親近感を抱いたのはこの主人公の息子である「アキラ」が第二回の共通一次試験を受験しているということ、つまりオレとほぼ同世代であるということである。学年で言えばオレよりもアキラは一つ下である。だからここに描かれる世相というのはオレの過ごした大学生活の頃とみごとに重なるのだ。そんなこともまたオレがこの小説の世界にスンナリと入っていけた理由である。
息子アキラが生まれてから成人し、結婚するまでの30年近い月日を淡々と描くこの小説を読み終えたオレが思ったのは、「これは絶対に映画化するといい!」ということだった。この父親を誰に演じさせればいいのだろうかと悩んでしまうのだけれど。
また、この小説の魅力を増しているのは脇役たちの存在である。主人公の幼なじみであり悪友である照雲和尚、その妻の幸恵、行きつけの飲み屋のおかみであるたえ子、そうした登場人物がみな個性を発揮して重要な役割を演じている。オレが「映画にすればいい」と思ったのは、それぞれのキャラクターが豊かな個性を持ち、単なる脇役以上の存在としてストーリーに密接に関わっているからである。
舞台となる広島県備後市というのは福山市を想像させるが、重松清さんは岡山県津山市の出身である。そして1963年3月生まれということだから、この小説に出てくる「アキラ」よりも一学年下ということになる。
オレはこの小説をこれから父親になる男性に、そして親子の関係をうまく築けないで悩んでる人たちにぜひ読んでもらいたいと思っている。かつて、こんな父親たちが日本にはたくさんいたのだろう。そしてもしかしたらオレの父親も、そんな不器用な男の一人だったの知れない。
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