2008年06月20日(金) |
自分にあった学歴を身につけるということ |
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秋葉原の無差別殺人事件を起こした加藤智大容疑者は、青森県下随一の進学校、青森高校を卒業したという。少なくとも中学までは優等生だったはずの彼の中にどのような変化が起きたのか。オレはあれこれと想像するのである。かつて、加藤容疑者と同様に高校入学と同時に挫折を味わった者の一人として。
オレは大阪府立生野高校に入学した。第七学区で最上位の進学校だった生野高校には中学校でクラスで1番だったような生徒ばかりがきていた。その中で全然授業の予習もせずにサイクリングに熱中して、毎日家に帰るとロードレーサーにばかり乗っていた自分が成績で太刀打ちできるわけがなかった。オレはクラスで最下位に近い成績を取り続け、深く潜行した。オチこぼれだったオレの面倒を見てくれて、オレに勉強することの充実感や達成感を教えてくれたあの恩師に出会わなかったら、きっとオレはオチこぼれのまま高校生活を終えていただろう。現役で京都大学文学部に入学することなどありえないことだったはずだ。よくオレは「あなたみたいに優等生だった人はオチこぼれの生徒の気持ちなんかわからないでしょう」と言われる。しかし、オレのように天国と地獄の双方を体験してる生徒はそうそういないはずだ。オレは高校時代、500人近い生徒の中で下位10人くらいに入ったことも上位一桁に入ったこともある。
そこでオレが改めて感じるのは、人は自分の素質に見合った学歴をつけるべきだということなのだ。せっかく進学校に入ったのに挫折してしまい、偏差値の低い大学に入ったり高卒で就職したりした場合、「ここはオレの居場所じゃない」「オレはこんなアホの中に居る人間じゃない」という屈辱感を生涯抱えながら暮らしていくというみじめなことになってしまうのである。だったらどうすればいいのかというと、ちゃんとそれなりの学歴を身につけよということなのだ。自分の通う高校の、普通の生徒が普通に入学していくレベルの大学にちゃんと入れるようになれということなのだ。それだけの学力を身につけられないのはひとえに自己責任じゃないのか。
加藤容疑者の母親は才媛(さいえん)とうたわれて青高へ進んだが、「地元の弘前大に行くくらいなら……」と県外の国立大を受けたが、かなわず、金融機関に就職したという。なぜ弘前大ならだめだったのか。そして大学進学が思うようにならないのならいっそ青森高校卒で就職した方が地元では通りがいいというあたりに屈折した学歴コンプレックスの片鱗を感じてしまうのである。父親は普通の県立高校出身だが、仕事は熱心でそれで出世したという。母親は長男である加藤智大容疑者をちゃんとした大学に入れることが悲願であり、自分が果たせなかった夢を叶えることでもあったのだという。加藤容疑者がそれに応えることができなかったことはいったい誰のせいなのか。オレはそこになんとも言えない重苦しいモノを感じてしまうのだ。高校入学後に加藤智大容疑者は成績不振になったという。そのときに夫婦仲も冷え込んだらしい。これはオレの邪推なんだが「あんたのタネだったら賢い子どもは生まれない」なんて母親が夫を罵倒したのなら最低だ。両親が彼にいったいどんな関わり方をしてきたのかとオレは思うのである。
大学受験というのはそんなに高いハードルなのか。今は地方の国立大は昔に比べてものすごく易しくなった。偏差値50以下、つまり全受験生の平均以下の成績で入れる国立大の学部もかなり存在する。18歳人口が減少したのに大学の定員は逆に増加したせいで、大学生のレベルは昔に比べてかなり下がってるのである。受験のハードルもどんどん低くなった。今の状況というのは端的に言えば「えっ、こんな問題ができないレベルでもこの大学に入れるの!」という感じなのだ。
加藤智大容疑者にちゃんと受験勉強させ、希望する進路に進めるように導くために欠けていたことはいったい何なのか。かつて公立高校の進路指導係を務めていたこともあるオレは、もしもオレが直接彼に関わることができていれば、このようなことにはならなかったのではないかと考えてしまうのである。
同じ大学に入学しても「オレはもっといいところに行きたかった」と思ってる学生と「がんばった結果ここに入れたから嬉しい」と思う学生がいる。自分の居場所に満足できている学生の方が少ないという。それはいったいどういうことなのか。なぜ自分の居場所に人は満足できないのか。
大学受験に失敗して浪人することになった場合、たいてい人は昨年の受験校よりももっと偏差値の高いところを受けようとする。せっかく浪人してるのにこんなところじゃカッコがつかないという理由で難関校ばかり受け、その結果2浪するものもいる。2浪した場合、学力はかなり下がることが普通だ。人は2年間もそんな緊張状態を維持できないことが多いからだ。受験勉強なんかできるだけ短期間で終えてしまうべきだ。しかし、2浪した受験生は「2浪もしてるのだからいいところに入らないと」と焦ってしまう。2浪しているという時点ですでに他の受験生よりも自分がかなり学力レベルで劣ってるということに気がつくべきなのだが、そうではない受験生が多いのである。2浪もしたのに、ほとんど競争率もない受験者がほぼフリーパスで入れるような大学にしか合格しない者もいる。そこで学生生活を始めると、回りの学生たちが全く勉強する気がないことに気がつく。しょせんそんなレベルの大学なのだ。しかし、少なくとも自分はこんな連中と同じじゃないという自負心があるから溶け込めない。そのうちに引きこもりになってしまう。
進学校での激しい競争から脱落した加藤智大容疑者の手に入れることのできた人生の幸福とは一体何だったのか。「イケメンではないから彼女ができない」という彼の自己否定は、彼女ができない理由が容姿云々ではなくてもっと性格の奥深いところにあったのに、それに目をそらして「イケメンでないから」という理由に逃げこんでしまっただけではないのか。そんなことをオレは想像するのである。オレなどはまぎれもなくイケメンだったのに20歳になる頃までちっともモテることなどなく、自分には生涯彼女なんかできないのじゃないかと恐れ、それでも必死で片想いしてはふられ、連敗記録を更新していたのである。
ネットという広大な世界の中で、これほど多くの出会いが存在しながら、加藤智大容疑者の持っていた心の闇に向き合ってくれるような存在が一人もなかったことをオレは残念に思うのだ。
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