2008年06月10日(火) |
サマータイムは全くの無駄である |
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アメリカやヨーロッパで採用されている「夏時間(サマータイム)」を日本でも導入しようとしている議員どもがいるらしい。オレは一言文句を言っておきたい。無駄なことはやめろ!と。その開始・終了時に起きる混乱と、それに伴う体調不良者の続出、そしてこの政策自体の無意味さを思うのである。
今のように人々の生活が夜型になっている時にこのサマータイムを導入することははっきり言って無駄以外の何ものでもない。また、導入しようとしている馬鹿どもはこれによって余暇活動が活発になるなどの誤解をしているが、一日の時間が24時間という不変の長さである以上そんなことはありえないのである。今の状態でもみんな時間が足りなくて困っていて、その中でなんとかやりくりしてアフター5の時間をひねり出しているというわけで、時間を一時間早めたところで、一日の時間が24時間で変わらない以上、何も変化は起きないのである。これは、西洋がやってることはなんでもよいことであるという誤解に基づく間違った政策である。
江戸時代の日本は一種のサマータイム制のようなものを導入していた。これは一日を等分するのではなくて、昼と夜をそれぞれ等分したからで、夏になると昼間の時間が長くなるからそれに合わせていたのである。これが合理的だったのは当時の人は日の出と共に起きて、日が沈むと就寝するという自然の摂理に合わせて暮らしていたからである。つまり、このサマータイム制というのはまだ人々が時計なんか持っていなくて、昼間は太陽の傾き具合で時間の目安にした頃の名残であり、農繁期である夏場に早起きしないと農作業の効率が悪いから自然に定着した仕組みなのだ。江戸時代のように農業従事者がもっとも多かった時代はそれでよかったのである。
ところが現代では農業従事者のようにお日様に影響を受ける仕事をしている人は労働者全体の中では一部であり、世の中のほとんどの方々は日が出てるとか明るいとか暗いとかそんなこと関係ない室内で働いているのである。アメリカやヨーロッパの諸国も本音のところはサマータイムなんかやめたいのである。ところが伝統的にそういう習慣になってるので変えにくいだけなのだ。日本に於ける江戸時代の時間のルールみたいなのをそのまま現代になっても引き継いでるのが西欧だと言える。前時代の異物みたいなものをしつこく使い続けてるだけなのである。
そのお馬鹿な習慣を、良く理解しないままに導入しようとしているクソ国会議員どもが280人もいるという。本当に迷惑な話である。その導入のために支払う社会の側のコスト、そして導入時の混乱、学校現場に於ける遅刻の増加などのデメリットを考えれば、こんなもの百害あって一利もなしである。ところが280人の超党派の議員連合はこのサマータイムの法案を今国会で通過させ、2年後からの導入をもくろんでいるのだという。絶対に止めてもらいたいぜ。
一日が24時間という大前提が動かず、企業が極端に仕事量を減らして残業を無くしてくれない限り、サラリーマンたちの余暇は増えない。多くの人が大量の仕事にアップアップしながら日々をなんとか過ごしているのだ。
その超党派の議員どもの中で、オレに対して「サマータイム導入の利点」を堂々と主張できる、つまりオレに論戦を挑んで勝てるような者が一人でもいるのだろうか。もしもいたらこの日記のコメント欄にあたる 「罵倒座談会掲示板」にぜひきてもらいたいぜ。議論は大歓迎だ。もしもサマータイム制導入のメリットが何かあるのならばオレに説明してくれ。そんなもんのためにいちいち家中の時計をいじらないといけないなんて困ったことだぜ。勝手にサマータイム補正をしてくれる時計でも売ってもうけたいのかい?よけいな負担を社会に強いて、それで新たな需要が生まれるなんて政治家や役人の発想があるなら頼むから死んでくれとオレは言いたくなるぜ。
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