2007年07月03日(火) |
それを無理心中と呼ぶな! |
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オレは無理心中ということばが大嫌いだ。誰がそんなことばを作ったんだ。どうしてあんなむごたらしい行為を「心中」と呼ぶのだ。「ふざけるな!」と言いたい。心中というのは崇高な愛の行為だ。この世で添い遂げることのできない恋人たちが来世で結ばれることを願って一緒に死ぬ。それが心中だ。「曽根崎心中」や「心中天網島」であり、近松門左衛門の心中ものの世界こそが心中を美しく描いたものなのである。ところがこの「心中」ということばの意味を誤解して、家族が2人以上同時に自殺する場合はすべて「心中」だと勘違いしてる新聞記者がいる。そして報道時にもその間違った解釈のままに心中ということばを使うのである。これはオレには全くもって許せないことである。まずアサヒコムから引用だ。
父が子供3人殺して、自殺図る? 妻あての遺書 京都市2007年07月02日12時58分
2日午前7時25分ごろ、京都市伏見区竹田内畑町の会社員尾子(おおじ)光明さん(42)の妻(39)から「子ども3人と夫が自宅で倒れている」と119番通報があった。消防署員と伏見署員が駆けつけたところ、2階で光明さんと府立鳥羽高校2年の長男翔太さん(16)、市立藤森中学校3年の次男健太さん(14)、同2年の長女美歩さん(13)が倒れていた。4人は病院に運ばれ、光明さんは意識を回復したが、子ども3人は死亡が確認された。
伏見署と府警捜査1課の調べでは、2階は夫婦の寝室と子ども3人の部屋の計4室があり、子どもはいずれも自室で、光明さんは翔太さんの部屋で倒れていた。3人の子はひものような物で首を絞められた跡があり、夫婦の寝室から睡眠薬のものとみられる空容器がみつかった。「子どもたちを連れていく」という趣旨の妻あての遺書もあったといい、府警は光明さんが子ども3人を殺害した後で自殺を図ったとみて捜査している。
一家は親子と光明さんの母(72)の6人暮らし。光明さんの母が午前7時20分ごろ、子どもたちが起きてこないため、様子を見に行き、父子が倒れているのを見つけたという。
鳥羽高校の副校長は「まじめで学校を休むこともなく、部活は硬式テニス部に所属していた。びっくりしている。事情がよくわからないが、非常に残念な思いだ」と話した。また、藤森中学によると、健太さんはサッカー部でゴールキーパーとしてレギュラーを目指していた。担任に「夏の大会では試合に出て、全国大会を目指したい」と話していたという。
美歩さんは事件前日もバレー部の練習をしていたという。校長は「予兆は学校ではまったく見受けられなかった。原因が何であれ、非常に残念だ」と話した。現場は近鉄京都線竹田駅の南東約250メートルの住宅街。
アサヒコムでは「心中」という言葉は出てこない。オレの意図が通じてるのだろうか。ついで読売新聞だ。
子供3人を父親が殺害か、妻あてに遺書…京都
2日午前7時20分ごろ、京都市伏見区竹田内畑町の会社員、尾子(おおじ)光明さん(42)の妻(39)から「子ども3人が倒れ意識不明になっている」と119番通報があった。
消防隊員が自宅で、長男の府立鳥羽高校2年、翔太さん(16)、二男の市立藤森中学3年、健太さん(14)、長女の同中2年、美歩さん(13)が倒れているのを発見、病院に搬送したが、死亡が確認された。
3人の首には、ひものようなもので絞められた跡があり、尾子さんが翔太さんのベッドの横で意識もうろうとなって座っていた。「子どもを連れていく」との尾子さんの妻あての遺書が残されており、京都府警捜査1課と伏見署は、尾子さんが子どもを殺害した後、薬を飲んで自殺を図ったとみている。
調べでは、子どもはそれぞれ2階の自室のベッドで倒れていた。争った形跡はなかった。遺書は、2階の夫婦の寝室から見つかった。尾子さんの寝室から睡眠薬100錠分の包装シートが、空の状態で見つかり、府警は、尾子さんが心中を図ったとみて事情を聞いている。妻は事件について、「心あたりはない」と話しているという。
尾子さん方は、妻と子ども3人と母親(72)の6人家族。母親が、この日朝、孫たちが起きて来ないため、子ども部屋を確認したところ、美歩さんがベッドの上で冷たくなっているのを発見。翔太さん、健太さんもそれぞれの部屋で倒れているのを見つけて、妻に知らせ通報したという。(2007年7月2日13時47分 読売新聞)
読売はしっかりと「心中」という語を使っている。
この事件のどこが心中なんだ。記事の中には「心中を図った」という記載がある。しかし、恋人同士の心中というのはおたがいが死ぬことに同意しているはずだ。ここで死にたいと思ってるのは父親だけであり、子どもたちは誰一人として死にたくなんかないはずだ。その将来ある子どもをなぜこうして殺してその未来を奪うのか。なぜ勝手に一人で死んでくれないのかとオレは思うのである。こんなのは心中ではない。そして子どもや家族を無理やりに道連れにして死ぬ行為を「無理心中」(いやがる相手を無理やり心中の巻き添えにさせるという意味)と呼ばせるわけだが、オレはそのことばを認めない。これは明確な子殺しであり、殺人以外の何ものでもないからだ。
子どもを殺して、その後に自分も死のうとするという意味でオレはこの行為のことを「殺人自殺」あるいは「子殺し自殺」と呼びたい。そして通常の殺人罪よりもはるかに重く処罰することを望む。もっとも処罰できるのは自殺に失敗して生き残った場合だけだが。この勘違いの親もちゃんと死刑にして子どもたちの待つあの世に送ってやれ。オレはこんな親が許せない。情状酌量もへったくれもない。無惨に殺された子どもたちのことを思えばいてもたってもいられなくなるのだ。どうしてこんなひどいことをするんだ。いったい何の権利があるんだ。ただ親と言うだけで自分の子どもを生かすも殺すも自由にしていいのか。そんなはずがないだろう。
どんなに借金があっても、それはみんな大人の側の事情だ。親が借金まみれになっても子どもは相続放棄すればいいだけのことだ。親があまりにも貧しくて子育てする余裕がなかったら、そのときは児童相談所がフォローするべきだ。(もっともその貧しさの原因の中にはパチンコのやりすぎというのもあるわけだが。)殺されるくらいなら孤児になって施設で暮らす方がずっとマシじゃないのか。「自分がいなくなれば子どもたちはどうやって暮らすのか」とおせっかいな心配をして、気を利かせて後顧の憂いを断つためにわが子を殺すのかも知れないが、おまえのようなろくでもない親などいない方が子どもは幸福だ。自分の命を犠牲にしてでも子を守ろうとするのが親の本能じゃないのか。保険金を手に入れるためにわが子を殺す親や、愛人との生活のじゃまになるからとわが子を殺すクソ親がいるが、自分の自殺の道連れに子どもを殺す親というのは、オレから見ればそうした連中の同類だぜ。
本当なら命に換えてでも自分を守ってくれるはずの親によって、無惨にその命を奪われることになった若い3つの魂のことを思うとオレは胸が締め付けられる。どうかこういう残虐な行為を新聞やテレビは「無理心中」となど呼ばないで欲しい。「殺人自殺」と呼んで、それがどれほど理不尽で許せない悪であるかとということを世間にアピールして欲しい。それがマスコミの役目ではないのか。そのような行為がいかに間違ったことであるかをしっかりと世間に伝える義務があなたがたにはあるのではないか。
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