2007年05月16日(水) |
いらない人間を捨ててください |
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運用開始した熊本の赤ちゃんポストに最初に入れられたのは、3歳くらいの幼児だった。連れてきたのは父親だという。新幹線に乗ってはるばる熊本まで子どもを捨てに来たのである。このような利用のされ方は病院側にとって全くの想定外だったわけである。さて、この場合「保護責任者遺棄罪」になるのだろうか。刑法第218条の「保護責任者遺棄罪」は「老年者、幼年者、身体障害者又は病者を保護する責任のある者がこれらの者を遺棄し、又はその生存に必要な保護をしなかったときは、三月以上五年以下の懲役に処する。」とある。道ばたや山に放置したのなら「遺棄」になることはわかるが、赤ちゃんポストという安全なところに預けた場合、果たして「遺棄」になるのだろうか。そう考えるとこの罪が成立するのかどうか疑問である。
オレはこの父親に少し同情してしまう。もちろん子どもを捨てることは間違った行動だ。しかしそれが「やむにやまれぬ行動」であった場合はどうなのか。妻に逃げられ、必死で3歳まで育ててきたもののついに力尽きて、どこにも相談できずにここに捨てに来たのだとしたら問題はその父子を支援できなかった周囲の状況にあるのではないか。よくよく考えた末にはるばる新幹線に乗ってここまで捨てに来たのである。赤ちゃんポスト運用開始を待っていたのだ。おそらく赤ちゃんポストに年齢制限の文字はなかっただろうから。
この世には無数のいらない人間がいる。このいらない人間という言い方は語弊があるが、あえてここでオレが「いらない人間」と例えるのはある特定の人にとってのいらない人間である。飽きてきたからいらなくなった元恋人。介護するのが面倒になった老親。家庭内暴力のひどいクソ息子。こういう「いらない人間」を殺してしまう人間がどれほど多いことだろう。いや、世間の殺人事件の多くは「いらないから殺す」という形で発生しているのだ。だったら「いらない人を捨てる場所」があれば殺さずに済むのではないのか。たとえ捨てられるのだとしても、殺されるよりははるかにマシではないのか。いらない人間として扱われて虐待されることの方がはるかに本人にとっては悲劇ではないのか。いらない人間として捨てられ、そこで拾われることで新たな人生を手に入れることの方が本人にとって幸福なことではないのか。
オレの尊敬する作家、木村和久氏はその著書「平成ノ歩キ方―時代がよくわかる」の中で「リサイクル恋愛術」という暴論を展開しておられた。これを簡単に説明すると、自分の恋人に飽きてきた場合、同じく恋人に飽きてきた友人とお互いの相手をとりかえっこしてしまう恋人リサイクルのススメである。もちろん木村和久氏は冗談でその暴論を書いておられたのだが、オレはその登場人物の名が李再来(り・さいくる)だったことに爆笑したのである。自分にとって不要な相手であっても他の誰かには必要とされるかも知れないということはよくあることだ。だから離婚再婚を繰り返す人たちが居るわけだし、それは一種の配偶者リサイクルシステムであるといえないこともない。
赤ちゃんポストの理念は「あなたが育てられない子どもであっても、社会がその子の親になります」ということではないのか。だったら年齢制限するのはナンセンスであり、何歳になっても育てられなくなるということはある。高校生になって母親の首を切り落とす会津の高校生だっているわけだ。そんな子どもを「もう面倒見切れませんから」と親がクソガキを投げ出す仕組みがあれば悲劇は防げたかも知れないのだ。老人介護に悩む人の中には「老人ポストも作って欲しい」などというむちゃくちゃなことを考えた人もいるはずだ。昔は「姨捨山」という場所があって、そこに捨ててきたそうなのだが、今は老人専門の一部の病院がその代わりになっている。中にはひどいところもあるという。そんな場所で家族が誰も会いに来ない寂しい人生を送ってる人も大勢居るんだぜ。
この世のすべての人が周囲から必要とされその存在を祝福されているわけではない。だから世の中には殺人事件が無くならないわけで、大阪湾に袋詰めにされた女性の死体が浮かんでいたりするのである。存在がじゃまだから殺すのだ。だったら不要な人間を持っていく場所があればそうした不幸な事態は防げるのではないのか。人間ポストこそは殺人事件を減らすための最後の手段になるのではないか。だったらどのように運用すればいいのか。その人間ポストに入れれば親子関係、恋人関係、友人関係を一切断てるようにすればいいのか。そんなことが可能なのか。そしてポストに入れられた人間のその後をどうすればいいのか。
今回の赤ちゃんポスト幼児遺棄事件からオレはこんなふうに妄想を膨らませていたのである。ここで書いたことはみんな悪い冗談だから本気で受け取らないで欲しい。赤ちゃんポストに3歳児を捨てに来た父親が、願わくば「しばらくの間だけ預けるけど、きっと父ちゃんは迎えに来るよ」という親であって欲しい。その子が永遠に親を失うようなことにはならないで欲しいとオレは思うのである。新幹線に乗って長い旅をしながら、まさかその旅が自分を捨てるための旅であったとその子は決して思わなかっただろう。オレはそれがふびんでならないのである。
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