2006年12月28日(木) |
騒音おばさんが帰ってくるぞ! |
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奈良県平群町を一躍有名にしたあの騒音おばさん、河原美代子のあのものすごい形相を覚えてる人は多いだろう。「引っ越せ引っ越せ」と大声でわめき、CDラジカセを大音量で流し続けて隣家にいやがらせをし続けたあのおばさんである。結局その行為が「傷害罪」に問われたわけだが、12月26日の大阪高裁・控訴審判決では懲役1年の一審判決を破棄して懲役1年8月を言い渡したのである。
この騒音おばさん、自分はちっとも悪くないと思ってるから当然のように「無罪」を主張したわけで、もちろん反省も全くしていないのである。「隣家が悪い」「近所が悪い」「私は悪くない」と思ってるのである。検察側は懲役3年を求刑したのだが、今年4月の奈良地裁の判決は実刑ではあるもののたった1年、それに対して無罪を主張する被告も、たった1年は軽すぎると検察も双方が控訴して今回の高裁判決となったわけだ。
確かに騒音おばさんの行為はやりすぎだ。しかし、そこまでの行動を彼女にとらせた近隣トラブルや、隣家に対する憎悪の根本はいったい何だったのだろうか。この裁判に関する報道でそれが明らかにされたとは思えない。
今回その判決が下ったわけだが、はっきり言って最高裁でこの件をこれ以上争う余地はない。上告できるような要件を満たさないからである。そういうわけでほぼこれで結審となるわけだが、問題となるのはその1年8ヶ月の刑期(未決囚として拘置所にいた期間も含む)を終えてからのことである。騒音おばさんは自分の家に帰ってくるのである。来年3月に出所してくることになるのだが、これからたったの3ヶ月であの人格が矯正されるとはとうてい思えない。その上自分は無罪だと信じてるわけで、自分を理不尽にも訴えて刑務所に入れた連中に対する報復の念に燃えているわけである。そうなると何のトラブルも起きないとは思えないのである。
警察は24時間体制でこの騒音おばさんを見張って事件発生に備えるのだろうか。もちろん騒音おばさん自身も、同様の行為を行えば即逮捕ということは何度も念を押されてるだろう。しかし、理性でそれがわかっていたとしても、テレビであの形相を観ているオレとしては、このおばさんに理性のブレーキなんてものが働くとは思えない。たとえば風が強い日に自分の家に火をつけて隣家もみんな火事にしてしまうとか、包丁を振り回して近所の人を無差別に殺傷するとか、そんな自暴自棄的な行動に絶対に出ないとも言えないのである。いやむしろ、そんな怖ろしいことをしそうな気がしてならないのである。そして彼女にそこまでの憎悪の念を抱かせたものがいったい何なのかが気になるのだ。隣人はいったい彼女に何をしたのか。
2ちゃんねるにはこの事件に関して多くのスレが建てられ、それらを丹念に読むと意外な真相が書かれている。もちろんオレがこの日記の中で「2ちゃんねるに書いてあったからこうだ」と推理するわけにはいかない。ただ、それらを読んでいて少なからずオレがこの騒音おばさんの方に同情したくなったのもまた事実なのだ。
ここで解決しないといけないのは近隣トラブルであり、その根本に遡らないで騒音おばさんを罰した裁判がなんらかの遺恨を残すのは当然である。裁判は正義を実現するためにあるのだが、同時に事実を解明するための場でもある。被害者の側によって撮影された映像だけが強調されてきたが、もちろんその映像が真実をすべて伝えるなんてオレは思っていない。おそらくそこには隠された真実があるはずだ。騒音おばさんの実際の行為は到底擁護できないが、ただその行為の背景を考えることは、このような近隣トラブルが日本の地域社会の中でこれからも頻発しそうなことを思えば必要なことである。
まとまりがなくなってしまったが、この騒音おばさんが自分の言い分を語る形での報道はどこかでされてるのだろうか。裁判の中で彼女はどんな主張を展開したのだろうか。オレはそれが気になるのである。
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