2006年12月07日(木) |
あなたは絵本「わたしのいもうと」を知っていますか? |
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いじめはいつの時代にもあった。最近になって急に発生したのではない。10年前も20年前も、もちろんオレが子どもの頃もあった。オレは身体が小さくて生意気だったので特定の子からいやがらせを受けることもあった。そのことに耐えかねて母に「いじめられるから学校に行きたくない」と言うと、母は小学校に出向いてそのいじめっ子をつかまえて「なんでいじめるんや」と激しく詰め寄った。その後はそのいじめっ子とも遊ぶようになった。
中学に入ると今度は教師によるいじめが行われていた。学校の変な方針に従わない子は家庭訪問されたり学級会でいじめられたりした。そのときはオレは十分に強くなっていたからもう負けなかった。「自分が正しくて変なのは学校やそこで洗脳された愚かな生徒だ」と思えるようになっていた。高校生になったら勉強が忙しくてみんな人をいじめたりするどころではなかった。
いじめを題材にするテレビドラマはたいていハッピーエンドだ。いじめられていた子は周囲の支えで立ち直り、いじめっ子は反省して謝罪し、それからは仲良しになってというおきまりのパターンに描かれる。しかし、現実のいじめはもっと残酷で救いのないものなのだ。現実社会では自分を守ってくれる正義の味方なんていないし、自分の境遇を理解してくれる先生もいつも自分をかばってくれる親もいるとは限らない。どこにも逃げ場がなくて、とうとう最後の手段で死を選んで、そのときになってはじめて親や教師が気づくというパターンが多いのである。
そんないじめの悲劇を描いた絵本がある。それは松谷みよ子作『わたしのいもうと』である。あなたはこの絵本を知っているだろうか?一度でも読んだことがあるだろうか。これは本当にあった話を絵本にしたものである。松谷みよ子さんはある少女から、いじめに遭って心を閉ざして引きこもって死んでしまった自分の妹のことを書いた手紙を受け取る。その手紙をもとにして松谷さんはこの絵本を書いたのである。
いじめられた側は一生消えない心の傷を負うのに、いじめっ子は何もかも忘れたように過ごし、そして幸せな人生を送る。そんな理不尽なことに対する激しい怒りのメッセージがこの絵本にはこめられている。
折しも教育基本法の改正案が国会で審議されたところなのだが、国旗や国歌のことを決める文言よりも、教育にとって大切なのは心を育てることではないのか。卑怯なことをしてはなりませぬという武士道精神こそが必要なのではないか。会津藩士の子供は、10才になると「日新館」への入学が義務づけられたが、入学する以前の6才頃から子どもたちが繰り返しきびしく教えられたことがあった。それが有名な「什の掟」である。これが会津精神の基本となっていたわけだが、会津だけではなくこれは日本精神の基本となって欲しいくらいである。
一 年長者の言うことに背いてはなりませぬ
二 年長者にはお辞儀をしなけれはばなりませぬ
三 虚言を言うことはなりませぬ
四 卑怯な振舞をしてはなりませぬ
五 弱い者をいぢめてはなりませぬ
六 戸外で物を食べてはなりませぬ
七 戸外で婦人と言葉を交えてはなりませぬ
ならぬことはならぬものです。
そう、こんな明白なことに理由などない。「ならぬことはならぬものです」それでいいのだ。「なぜだめなんですか」などと口答えするな。「なぜ人を殺してはいけないのですか」などとほざく馬鹿は死ぬことがどれだけ痛いことかわからせるためにぶん殴ってやれ。卑怯なのはいじめを行う子どもだけではない。ゼニのために卑怯なことをする大人も相変わらずだ。次々と知事が逮捕されていく中で、子どもたちの手本となるべき大人はいったいどこにいるのか。
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