江草 乗の言いたい放題
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2006年07月10日(月) 堕落のすすめ        ブログランキング投票ボタンです。いつも投票ありがとうございます。m(_ _)m 携帯用URL by Google Fan

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 人間とは堕落する生き物である。一日8時間の受験勉強に取り組んで必死で大学に入学しでも、入ってからは遊びほうけて留年したり女のヒモになったりただの馬鹿になってしまったりというのはよくある話である。大恋愛の末に結婚したカップルが一ヶ月も経たないうちに離婚したりすると世間の人々は驚くが、「堕落する」という人間の本質から見れば驚くには当たらない。結婚というゴールに到達したことでもはやその大恋愛の目的は終了し、後に待っていたのは怠惰な日常だけだった・・・というときに、その怠惰な日常の中でどんどん人間が堕落していくのは自明の理である。夫婦それぞれが新しい恋人を作ってしまったりするのである。

 堕落しないためには常に緊張状態を必要とする。生きるか死ぬかの必死の日々を過ごしていれば堕落のしようがないわけだが、そんなストレスの多い毎日を過ごしていれば人はすぐに死んでしまう。時々緊張を解いてやらないと伸びきったゴムみたいになってしまう。時には堕落してみることも必要だ。

 そんな堕落の勧めを説くオレはやはり坂口安吾の「堕落論」を勧めたい。きみはこの「堕落論」(坂口安吾)を読んだことがあるか?今年は坂口安吾の生誕100年である。堕落論発表からはちょうど60年だ。もしもまだ「堕落論」を読んだことがないのならぜひ一読をお勧めする。この生誕100年を記念して、世田谷文学館(東京都)では、坂口安吾をモデルにした「文豪Tシャツ」を発売するそうである。税込み4410円はかなり高いが、なんと先着300着には「堕落バッジ」がおまけでついてるそうだ。もしかしてそのバッジをつければ堕落できて放蕩無頼の生活が送れるのだろうか。オレのようなすでに堕落したオッサンはどうすればいいのだ。

 堕落論の中にはこのような一節がある。

 特攻隊の勇士はただ幻影であるにすぎず、人間の歴史は闇屋となるところから始まるのではないのか。未亡人が使徒たることも幻影にすぎず、新たな面影を宿すところから人間の歴史が始まるのではないのか。そして或は天皇もただ幻影であるにすぎず、ただの人間になるところから真実の天皇の歴史が始まるのかも知れない。

 敗戦のあの混乱の中で、来るべき時代を予感して書かれたこの部分を読むと、坂口安吾という作家の価値観の軸が終始一貫してブレなかったことに気がつく。「人は必ず堕落する」それを食い止めるにはものすごく大きなエネルギーを必要とするのである。理想に燃えて大学に入学しても、その中で受験生時代のように勉強する習慣を失わないでいるものはほんのわずかで、大多数の学生は毎日を遊び暮らすことになる。それが人間の本質だからだ。「堕落論」の最後で安吾はこのように語る。

戦争に負けたから堕ちるのではないのだ。人間だから堕ちるのであり、生きているから堕ちるだけだ。だが人間は永遠に堕ちぬくことはできないだろう。なぜなら人間の心は苦難に対して鋼鉄の如くでは有り得ない。人間は可憐であり脆弱であり、それ故愚かなものであるが、堕ちぬくためには弱すぎる。人間は結局処女を刺殺せずにはいられず、武士道をあみださずにはいられず、天皇を担ぎださずにはいられなくなるであろう。だが他人の処女でなしに自分自身の処女を刺殺し、自分自身の武士道、自分自身の天皇をあみだすためには、人は正しく堕ちる道を堕ちきることが必要なのだ。そして人の如くに日本も亦堕ちることが必要であろう。堕ちる道を堕ちきることによって、自分自身を発見し、救わなければならない。政治による救いなどは上皮だけの愚にもつかない物である。

「正しく堕ちる道を堕ちきること」とは至言である。下げだした株が反発するには、とことん下げて底打ちすることが必要だし、放蕩無頼の生活にあこがれるなら、実際にそれがどんな生き方か体験すればいい。そこでボロボロになってみてはじめて人は気づくのだ。失敗からしか人は学べないからこそ、一度はとことん墜ちきることも必要なのである。そうすれば人生に於ける挫折のほとんどが実はたいしたことではないことがわかるだろう。些細なことで死にたくなったり実際に自殺したりする人が、もしもその前にこの「堕落論」を読んでいれば、もしかしたら思いとどまったかも知れないのである。

 オレが「堕落論」をはじめて読んだのは高校1年生の時だ。その影響で成績は急降下し、まさにとことん堕ちきったことを思い出す。オレはクラス席次45人中44番というとてつもないところまで堕ちた。その時に気になったのは「あと一人オレよりも馬鹿なヤツが居るのか?」ということだった。今思うと本当になつかしい日々である。ネットで見つけたこの「安吾Tシャツ」、値段の高さは不満だが、オレはとにかくその「堕落バッジ」が気になるのである。いったいどんなバッジなんだろうか。


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