2003年03月17日(月) |
海の向こうで戦争が始まる |
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ついに、開戦は不可避になっちまった。なんとなく今のイラクの姿は、戦前の日本の姿とダブってしまう。だったらフセインの打つべき手は、米軍の攻撃開始よりも先に「真珠湾攻撃」にあたる奇襲攻撃を仕掛けて、米軍に大打撃を与えることしかない。もしかしたら本当にその準備は進んでいるかも知れないなあ。「戦争開始=米軍の攻撃開始」と思っている人がほとんどだから、イラク軍の奇襲があれば国連はパニックに陥るだろうな。ソマリア紛争でもわかるように、今の米軍に弱点が存在するとしたら「打たれ弱さ」だろう。緒戦で死傷者が続出すればたちまち厭戦ムードに包まれるはずだ。そうなるとフセインにも勝機があるかも知れないぞ。他の事件も戦前の歴史に置き換えてみれば、クウェート侵攻が満州事変で、国連査察団はリットン調査団みたいなものになるだろうか。
オレにとって不思議なのは、フセインという欲望にまみれた世俗の王が、敗北が必至な戦争に乗り出そうとする行為である。アラブの大義に殉じ、米軍との戦いに敗れた英雄として歴史に名をとどめたいのだろうか(笑)。生きていてこそ自分たち一族の富と名誉が守られるのであり、殺され破壊されてしまった後では何も残らないのに。太平洋戦争の背景を考えたとき、アメリカが日本との開戦やむなしという決断をしたのは、日本が満州だけで我慢していればよかったのに中国に侵攻したからだという説がある。フランスがインドシナ半島、アメリカはフィリピン、オランダはインドネシアという具合にヨーロッパの諸国がアジアの各地に植民地を持っていたくせに日本の満州支配を批判できるわけがない。「そこまでは大目に見てやろう」というのが英米仏の一致した見解だったのではないだろうか。
この世に正義の戦争など存在しない。フセインを打倒してアメリカ流の民主主義をイラクに根付かせたいとするならば、アメリカ社会というのが果たして地上の楽園なのかという疑問に突き当たる。21世紀の歴史の中で、この戦争はどのような意味を持って後世に語り継がれるのか? それは現時点ではまだわからない。「独裁者の存在=悪」なのなら、オレにはアメリカ大統領こそ世界最強の独裁者のような気もするのだが。大量破壊兵器を世界で一番たくさん保有しているのは確実だし。
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