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| 2004年03月23日(火) ■ |
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| 「おかしい」という概念について |
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今日、センバツ大会が開幕した。そういや、私は11年前の開幕日を甲子園で過ごしている。その年は、大会歌が現在の『今ありて』に変わった年で、行進曲もこれだった。外野で開会式を見ていると、知らないおっちゃんに、「姉ちゃん、これ歌って、これ!」と言って手にしていた新大会歌の歌詞カードをちらつかせてきた。今だったら笑って(頭に嘲がつく笑い)歌ってあげるのだけど、当時はまだウブだったし、歌自体もわからなかったので、曖昧に笑ってその場をごまかした。こんな感じで、野球ファンには凡人の頭では理解できないおかしな人が少なくない。どこの球場(もしくはグランド)にも、誰かしらそんな人がいる。西京極球場にもなぜか新聞をあさっている兄ちゃんがいる。それだけ野球ファン層が厚いということでもあるのだけど。
往々にして、おかしな人にはおっちゃんが多いのだけど、大学野球の大会を見に神宮球場へ行ったとき、前にいた女子大生らしき4人組の女の子がスコアをつけていた。それも、4人が4人ともである。カルチャーショックだった。あの光景はおかしいと思った。今となっては、それは一重に私の見聞の狭さに過ぎないと思う。でも、当時はまだそういう物の考え方が出来なかったので、「スコアをつけるだけの人生でいいのか」、その後ろでスコアをつけてながら自省した。
要はするに、この世にはおかしい人が存在しているだけではなく、それを見た人の中に“おかしいと思う心”があるにすぎないのだ。
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