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あるこのつれづれ野球日記
あるこ
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2002年06月24日(月)
そこには、何者でもない私がいるだけで。(暑苦しい話です。飛ばしましょう)


 最近の私は感情起伏が激しいと思う。やたら感動したり、くだらんことで家族に怒鳴り散らしたり、意味なく絶望してみたり、全く忙しい。

 今日は、ドラマ「空から降る一億の星」を(今日だけ)見て泣き(キムタクも深津絵里も死ぬんじゃな〜い!!)、やらせバラエティーと名高い「あいのり」を見て泣いた(芳ちゃ〜ん!)。
 
 このちょっと前には、女子大生刺殺事件のニュースを見ていた。彼女を知る人が「将来の夢とかに向かって一生懸命がんばっていた子なのに…」と涙ぐんでいた。そんな彼女が死んでしまって、私が生きているのはなんだか申し訳ない。ただ無言で、求人広告を破ってた。

 さらに前は、年金暮らししてる叔母に「ええよなあ、何もせんと金が入ってきて」と毒気ついていた。

 その前は、「ちちんぷいぷいぷい」(関西ローカルのテレビ番組)を見ながらアホみたいに笑っていた。


 私のやりたいことって何だろう。

 少なくとも仕事ではないような気がする。でも、仕事をしないと食べていけない。パトロン募集中〜!なんてアホなこと言っても誰も相手にしてくれないだろうし(苦笑)。

 ドラマを見る、文章を読む。

 感動するその度に、このままではいけないという思いに駆られる。いや、これを教訓に強く生きようとかそういうんじゃなくて、“私も何か作らねば”と思うのだ。「誰もお前に求めてへんから、アホちゃうか」とも思うのだが、何故かそう思わずにはいわれない。

 自分の存在にキラリと光るものはない。だから、せめて人が発信しているキラリと光るものを別の誰かに伝えたい。ともすれば見過ごしてしまいがちな、そして本人ですらわからないようなささやかサインをも見逃さないでいたい。

 自分の感性に自信があるとは思わない。自分が魅力を感じたことでも、人にとっては何とも思わないということが多々ある。

 それでも、私は自分が見つけた誰かのキラリを人に伝えたい。きれいごとかもしれないけれど、たった1人でいいから、それを受け止めてくれる人がいればそれでいい。

 人のことについて書く、それが私の自己表現の方法なのかもしれない。

 音楽、写真、絵、オブジェ、料理…様々な自己表現方法が世の中にはある。その中で私は文章を選んだ。正直、それが何故なのかはわからない。


 プロになりたいの? それとも趣味なん?

 こないだそういうことを友人に訊かれた。もういい年なんだから、ちゃんとしなさいということなんだろう。

 確かに、今の私はどっちつかずだ。元々はプロになりたかった。だから、この野球日記を始めた。でも、実際(野球)日記を書き始め、様々の情報を知り、私には足りない物が多すぎることに気づいた。

 コネやツテがない。野球の基本知識がない。取材をするときには欠かせない積極性が足りない。休みが不規則になることによって、自分の時間がなくなることへの覚悟が出来ない。出版関係の仕事など、採用されるわけないと端から諦めてしまっている。

 本当にプロになりたい人は、一生懸命作品を書き続けるだろうし、自分を売り込むだろし、一度や二度は出版関係の仕事を求めて会社を訪れれていることだろう。

 ところが、私にはその経験が一度もない。やはり、この夢はただの夢だったようだ。そう思えたのは、昨年末くらいだった。当初は、まだお金にも余裕があった。

 かと言って、野球は趣味の一貫という割り切り方も出来ないようで。今でも、「もうすぐ夏に大会やしなあ、下手に仕事決まったら、試合見に行かれへんのやろな」などと考えている。

 また、雑誌や記事を見て、「あ、それ私も書きたかったのに!」と妙に悔しくなったり、いい文章を見ると感動すると同時に、自分との実力差に愕然としてしまうのだ。妙な負けず嫌い魂が姿をちらつかせる。

 だから、野球や野球を書くことは究極の趣味だと決めていたのに、今になって「ほんまにいいの?」という思いがふつふつと沸いてきている。前述した友人の質問にも答えられなかった。

 お金がないからかもしれない、仕事がないからかもしれない。

 私はいつだってそうだ。仕事がイヤになったら、「やっぱり好きなことをしたいかから、プロになりたいなあ」と思い、いざ書き始めたてうまくいかないと「やっぱり好きなことを仕事にしたらあかんやんなあ」と思い直す。

 なんじゃ、そら。

 そんな私が今取っている手段は、「運を天に任せる」だ。聞こえがいいが、ものすごく受動的。縁があれば、プロになるし、なければそれまでだ。でも、今この1歩も動かない現状に正直すごく焦りを感じている。

 同じように野球日記を書いている友人たちは、「スポーツライターになりたい」と明言している。私の目指すものはスポーツライターというより、エッセイストに近いものだが、それでも、私は彼らのように断言はできない。

 彼らは、自分たちにとって大事な人に、ライターを目指すにおいて大きな影響を与える言葉を投げかけられている。そのことを聞いたとき、サクセスストーリーを先行して見せてもらったような気分になった。

 かくいう、私はどうだろう。実は、こんな私に相方が投げかけた言葉はこうだった。

 「自分は書いてたらええやん。それしかなさそうやし。成功とか失敗とかそんなんやなくて、自分ワールドを炸裂させといたらええやん」

 …なんかちょっと無責任な発言だ。


 これから進む道、早く白黒をつけなきゃいけない。でも、気持ちとは裏腹に、そこにいるのは何者でもないただの自分。

 一体何をどうすればいいのか。今後はもっと具体的に考えたい。

(というわけで、私の友人、知人と自認されてる方には、相談の魔の手が及ぶ可能性があります。真剣なので、何かアドバイスをくださいね)