2006年01月14日(土) 生きるってどういうこと?


生きるってことはどういうことだ。

つまりそれは、なんで死ぬのが嫌なんだ?ってこと。

それは「本能」と言う言葉で片付けられる。


人は皆、一度は思うのではないだろうか?

「自分が生きてきた証をこの世に残したい」

コレは実は「本能」なのだろうと思う。

そして、ほとんどの人が、「生きた証」を残して死んでいく。

それは、もうこの世ができた時からの命題であり、
そして、残されてきた証なのだ。

それは、何か。


「生きた証は子どもをつくることで充足されている。」


生きた証が、動き、愛され、愛し、怒り、悲しみ・・・

あらゆる感情が詰まった生きた証。

何らかの形でずっと続いている、今も続いている証。


考えてみれば、自分に流れるこの血も、

縄文時代よりももっと古くから続いてる。

世界史や日本史を学ぶと、幾多の戦争や混乱があったのに、
生き続けてる。

それは、何億個の精子の中から
たった一個の卵子に選ばれるように生きて、

今も繋がっている。


それは、大事な事だと思う。


子どもをつくるということは、証を造るということでもある。


それでも、足りないという「生きる証」


僕は貪欲らしい。

生きる意味が見つからないという人が増えていると聞く。

どうしたらいいんだろうね。
俺にも分からない。

そして、俺にも分からなくなるときある。


そんなの分かってるほうが難しいよって叫びたいくらいに。

生きるってことを他人に預けるのは簡単。

あの人が悲しむから。
仕事があるから。

とか。

だけど、主語を自分に変えることは意外と難しい。


俺が〇〇したいから。


コレは難しい。



色々考えてみたけれど、
生きるってことはそれだけで残すってことなのだ。

証を残すってことは子どもを産むってことなのなら、

それは何から子どもは生まれるのか。


「愛」からだ。


僕たちは、愛する為に生まれてきた。


そう言えるんじゃないかな。


本能に近く、抽象的だけど、そうなんじゃないだろうか。


人によってはこんな考え方馬鹿らしいって思えるかもしれないけれど、

確かに僕たちは愛を感じて、それに喜んで、嬉しくて、
そうやって生きていないだろうか。

嬉しい時は、愛されたり、愛したりした時じゃないかな。


だから、愛なく「生きる」ことは辛いことなのだろう。

セックスが気持ちいいのは、きっと証を残してる。
本能が充足されているからなんじゃないかな。


生きるってどういうことなのかな。

過去をたどって考えてみた。

ずっとずっと考えて、でた答えだった。

そして、僕が「愛」をどうしても探したかった理由が分かった。

子どもが理由なしに可愛いことも、
女の子が可愛いのも。
フリーセックスなのも、
援助交際も、
何もかも・・・。

問題は「愛」。


って、ちょっとてきとーすぎるまとめ方ですが(笑


皆さんも、「生きるってどういうことか?」

考えてみてはどうでしょう。
意外としんどいものですよ。

何か違う答えが見つかったら、是非教えて下さいね。




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sk6 [手紙] [Ai to U]

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