| 2005年12月21日(水) |
悲しい人に読んでほしい。 |
最近所謂「鬱」だったのかもしれない。
俺そんなこと感じたことなかったけれども、 今でも自覚していないけれども、とりあえず元気なかった。
癒しだけを求めて、傷つくことばかりを恐れてた。
だけど、今日ね、取材で中学校の駅伝大会に行ったの。
ファインダー越しに見る彼ら彼女たちは幼くて、 どう考えてもカッコ悪い、でも俺もしてた、 ジャージを腰で履いてた。
馬鹿みたいにカメラに映りたがって、はしゃいでた。
なんでかなって考えてみると、 何かわかったものがある。
赤く頬を染めて、冬空の下、走る彼ら。
次の走者にタスキを渡しては、 崩れていくまだまだ「こども」な子どもたち。
友達を一生懸命に応援する子どもたち。
涙ぐんでいる子もいた。
大人たちもどこか「先輩」ぶって 「つらかろう」 って顔で見てる。
でも、表情はおだやかで、 あたたかい風を感じたんだ。
生きる理由って特になくて、 くだらないことばかり。
「なんであんなことしてるの?」
そんなことを誰にも言われずに生きる方法があるんだろうか。
生きるってことはまだ俺にもわからない。 毎日が飛ぶように過ぎていく日常は、 師走だからじゃなくて、きっとこれからもそう。
次々と過去になっていく。
なんかね、寒空の下、頬を染めて走る子どもたち見てたらね、
涙が出そうになってね。
ああ・・・なんてカッコいいんだろうって思ったんだ。
応援する人たち、なんでだろうって。 でも、心でそれを受け止めていたんだ。
ああ、、そうだよな・・・
俺、俺ももっとこうやって輝かしく生きなきゃいけないよな。
ただ、それが学生か社会人かの違いであって、
自由時間が少ないだとか、 お金がもらえるだとか、 車に乗ってるだとか、 体が大人だとか、 セックスしただとか、
そんなことが大人と子どもを分け隔てるのではなくて この「心の老化」とも言える、過去を懐かしむ気持ちが溢れ出す。 そんな気持ちがあるかないか。
それが大人と子どもの壁なんだな。
いつもねー・・・ いつもこうなんだ。
壁にぶちあたっては、 誰のせいにも、自分のせいにもできず、 ただ時間が過ぎるのを待つような そんな生き方しかできないのかな。
こうやって与えられるのじゃなくて、 自分で立ち上がることはできないのだろうか。
朝、なんとなく会社に行くのが嫌で、 こんな気持ちはじめてで、
車の中で好きな唄を聞いてた。
そんな時、最近新聞を読んでて 発見した好きな言葉を見つけたことを思い出したんだ。
何も咲かない寒い日は
下へ 下へと
根を伸ばせ。
弱い自分が嫌なんだ。 会社へ行きたくないなんて考えている自分が嫌なんだ。 その理由が明確な理由が見つからないからもうひとつ嫌で、
でも、そんな僕をいつもと変わらず愛してくれる 皆がちょっと怖くて。
俺という存在の意味すら問いたくなって
「なんで好きなの?」
だなんて幼稚なことを聞いてしまうのね。
キミはいつもと変わらず笑って答えてくれて、 出会えた奇蹟を本当に感謝して、感謝して、
天使なんだなあって思うんだ。
理由もなく、意味もなく、 理由を探せず、肯定できず、 否定ばかりをして生きて、
楽しくなかった。
心が破裂しそうなくらい、ワクワクした毎日を過ごしたい。
手段だけをたくさんもって生きるより、
もっともっと愛と「自己満足」を手に入れたい。
中学生がゴールのテープを駆け抜ける時、 そこに何の価値もないけれど、
きっと彼らの心で何かがはじめて、 嬉しくて嬉しくて仕方なくて、
抱き合ったり、泣いたり、
そんなそんなことを思ってるんだろうなぁ。
カッコいいなぁ・・・そして、俺まで泣けてくるよ。
本当にカッコいいってこと。 本当に充実してるってこと。
ただ、平平凡凡と、 疲れたからだを引きずるんじゃなくて、 もっともっと明日を夢見て生きたいんだ。
必要とされたいし、愛されたいし、
腹筋と心臓の間くらいが少しうずくんだ。
「やれ!やるべきことがきっとある」
生きるってキットそういうことだと思う。
もっと社会に目を向けて生きよう。
何か見つけられるものが、きっとある。
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