| 2004年12月16日(木) |
どうすれば、変化できるか。 |
人は何をもってして、 影響を受けるのだろうか。
もし、影響を受ける人が、 自分にとって、尊敬できる人なら、
どうやって僕達は尊敬の価値を決めているんだろう。
音楽にしたって、絵にしたって、文章にしたってそう。
何か心のどこかがそれに呼応して、 それを見つめる目が変わってるんだと思う。
しかし、同じ言葉を述べるにしろ、 言う人が違うと、もうすでに印象は変わって、
小学校の体育館での全生徒の集会とか見てたら分かる。
それなりに大事なこと言うてるのに、 生徒は聞いていないんだよね。
それってなんでか?
うーん。
例えば、アントニオ猪木が、
「元気があればなんでもできる」
って言うて、それなりに説得力があるのはなんでだろう。
それは、きっとその人の歩いてきた道を知っているからだろうな。 つまり過去をそれなりのレベルだったとしても、 知ってるからだろう。
例えば、「著名人」「芸能人」って言うのは、 その存在だけで、話したこともないのに えらいって思うのは、
その人をテレビで見てたり、 周りが偉いって言うからだろうな。
そう言う人の話は説得力があるわけだ。
でも、それは自らで得た価値・・・ではあるのだが、 そうとも言い切れない気もする。
要は、 �.ぅ鵐僖�ト と ��経験
であって、話の内容がどうというわけではないのだろう。
それっぽい人がそれっぽく言うてそれっぽく聴こえるのは、 きっとその人がそれっぽいからだろうな。
変化って言うのは、 なかなか人はできない。
変わりたい、何か新しいことをはじめたい と望む人は、 今の現状に全力でやっていないかららしい。
思い返してみればそうなのだろう。 そして、全力でやっているからこそ、 何か新しいことがやってくるのかもしれない。
何がえらい、えらくないというのは、 誰かによって価値をゆだねるものではない。
自分で探すべきものであり、 自分が見極めるべきものなのだろう。
情報を鵜のみにしてはいけない。
自分の足で、自分の目で見たものは 経験であり、体験である。
情報はそうではない。
情報は常に真実とは限らない。
経験と体験こそが、 自分に対する自信にもつながる唯一の方法なのか。
ジシンは磁針でもある。
それは向かうべき道を正確にあらわすためのものでもある。
ジシンを持ちたい。
そのためには、努力せねば。
傷つかねば。 現実を知らなければ。
情報を駆使し、経験をするのなら、
情報は過程であり、経験は結果ならば、
僕は夢を届ける仕事を選んだといえる。
いや、経験は結果ではない。
それが始りなのだろう。
毎日、目を鍛えなければ、 すぐにだらだらしそうになる僕。
なんとか踏みとどまらなければ。
元々この世に楽しい場所や、楽しいものなんてないんだから…
それは、自分で努力し、作っていかなければ、
受動的な真実など、ないのだろうから…。
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