| 2004年08月28日(土) |
一人になるということ。 |
一人になりたいと思うことは 贅沢な悩みだそうだ。
そう思えるのは、周りに人がいるからで、 いつも自分を支えてくれている人を しっかりと分かってくれているからだそうだ。
例外もあるだろうが、うなづける言葉だ。
僕も一人になりたいと思うことがある。 自分を孤独に追いやりたくなる。
でも、孤独が耐えがたい苦痛というか、恐怖になることもある。
一体自分は何を望んでいるのか。 俺自身にさえ分からず、
ただ、感情という名の波に常にさらわれているだけのようだ。
最近思うのが、 男女の関係において、
セックスフレンド(SF)と友達と彼氏彼女
の違いが分からなくなる。
しかし、分かってきたのは、この3つのカテゴリの話 だけで分類すると、 恐らく、 SFと友達・彼氏彼女
という風に別れるのではないか。 SFと友達が同じになるのは、 やはりそれが「友達」だからだろうと思う。
気の合うものが集まっているだけが友達ではないが、 気の合わないものでも集まっていたり、 気付いたら一緒にいるのは、もはや友達というより、 仲間に近い気がする。
SFにいたっても、互いの寂しさを癒すことや、 性の相性が合っているとか、そういうことなのかなと。
SFが何故いけないのか。 倫理感が一番なのだろうが、 現実的な理由として、「生」を生み出す可能生があるということだろう。 性とは、「心に生きる」「心が生きる」などと書く。 りっしんぺんは心を表しているのだから。 性の問題を考える際に、「生」ということと「心」は 重要な問題になってくるだろう。
そう考えていくと、 今、ちょっと参っている俺には、SFが今欲しいと思っているのか。 何故かいつも、彼女がいると、 彼女だけが性の対象というか、 他のものに無関心になってしまうのは悪い癖のようなのかもしれない。 俺がこれから誰かと付き合う上で、 セックスってのは結構重要かもな(笑
いっつも付き合う前には、この子といつかほんとに キスとかセックスをするのだろうか?! とか思ってしまう。
なんか崇拝というか、穢れなき者というか、
そう言う風に捉えてしまうのよね。 まぁ最初だけって言い方やったら悪いけど、 えっとー・・・。でもまぁそういうことになるか。
友達とSFは何となく消化できた。 ならば、付き合う、彼氏彼女ってどういうものだろう。
って、それはやっぱりお互いを共有するってことかな。
今日(9月3日)、山本さんに言われた。
「世のカップルは、自分の愚痴を、聞かせようとするから 別れるんよ。同じ愚痴でも、それを上手く出させるのと、 無理矢理引き出すのと、自分から愚痴るでは えらい違いやのにね。 いいカップルっていうのは、きっと お互いの未来や今を共有できる人たちのことかな」
俺はできてなかった。 あかんな。俺。 山本教(笑)にでも入ろうかな。
「その時付き合う女ってのは、 その時の自分の器にあった人が来るんやと思うよ。 だから『その時』がくれば、また sk君もええ子に会えると思うよ。 探さなくても、待たなくてもええんやない? 今はキミの器を大きくすることを考えたらさ。」
「ええ男ってのは熱い男やと思う。 男女平等とか言うけど、 やっぱり適材適所はあると思う。 それをなんとも関係せずに、平均化するのが 果たして本当にええことなんやろうか? 男は夢もっとらなあかんと俺は思う。 それで、熱く生きていかなあかんな。」
男女参画型社会については、 ジェンダー論について調べてみてはどうでしょね。 って、興味持ったらですけど。
器。 そうね。 器ね。
もっと自己を見つめなおそう。
ソンナ風に思った、 ある公園の深夜4:00
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