永久という名の瞬間
2004年06月03日(木) もう、かまって欲しくないんだ

 摂食のこととか、入眠障害のこととか、希死念慮のこととか、私にはまともに話せる人間が、今いない。
 今できることは、面白おかしく、そしてさも克服したかのように客観的にそれらの事象を語ることだけ。

 希死念慮についてならば、昔なら・・・話題にする程度ならできる友達がいた。
 しかしその時は私の人格障害が炸裂し、多大な迷惑を相手にかけてしまった。
 学校でODして、酔っ払いの如く嘔吐しながらバスや電車に乗る私を、家まで連れて帰ってもらったこともある。
 この時私は、(もうだめだ)と感じた。
 その子達から離れなければいけないと、全身で悟った。

 度が過ぎるかまってちゃんは、1人でいるべきなんです。
 寂しいからって、他人に迷惑かけていい度合いって、あるもんでしょ?普通。
 私はあの時、その一線を越えてしまった。

 とあるチャットで、「悩みを打ち明けられる人間をつくりな」とアドバイスされた。
 でも、その当時のことが思い出される。私はそんな対象を作ってしまうと、たがを外して『かまってちゃん』になるだろう自分が怖い。
 第一、私には打ち明ける悩みなんて無い。嘔吐も眠れないのも自傷も死にたいと思うことも、すべて私がしてしまう異常な行動であって、悩みなんかじゃない。
 止められない、と悩むことさえ、しなくなって久しいもの。
 そして何より、そんな人間、今の私にはいない。

 もし私に・・・何もかも打ち明けられる人間が、1人でもいたとしたら。
 私の事情を知ってくれている人間が、1人でもいたとしたら。
・・・そんな状態では、私はもともと鬱状態にならなかったに違いないから、想像する価値も無いな。
 また無駄な想像をしてしまう。

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photo by 東雲