永久という名の瞬間
2004年05月29日(土) 勢いで、書いてみた

 死ねないという事実に、胸が痛む。
 逃げることもできず、やりたいこともできず、夢もかなわない。
 足元に続いているだろう、透明の未来から、私は逃げたい。
 なにより、「また死ねなかった…」と後悔したくない。


 死は私の中で、美化されているのだろうか?
 WEB上の自殺について書いてある掲示板を巡っても、自殺について否定する人と、肯定する人間の二人に分かれている。そして相互理解できていない。
 私はもちろん肯定する側なので、否定する人間の意見が破綻しているようにしか見えない。
 同じ肯定側でも、支離滅裂な意見を書く人はいるけど。

 なぜ人は『自殺=悪』の観念をすりこまれているのだろう?
 それは絶対に真理ではない。
 真理なら…おそらくソクラテスは死ななかったはず。
 悪ではないけれど、他人に迷惑をかけるものであって、それを行う者は自己中と周りから判断されるだけだ。
 そして人間は自分が自己中だと思われたくないのが普通だから、自殺をしたいと思う人間は、言い訳を考えるのだろう。
『私は○○○とかんがえるので、私は自己中ではない』と。
 でも結局は何があろうとも自己中は自己中ということで変わらない。
 問題なのは、『自己中は悪ではない』ということ。
『○○○のような状態であれば、それは自己中だけれど、仕方がない』と、世の中が思えば、言い訳は完成される。

 あー。よくわからない文章だ…もう、思考に言葉がついていかない。

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photo by 東雲