このえの毎日だらだら日記

2004年12月12日(日) お医者の先生。

最近、薬を飲まないでも寝れるように、と思うのですが、やっぱり寝れなくて。
昨夜も布団に入ったのは1時半くらいだったのですけど、うとうとっと眠りに引き込まれたのは4時半を回った頃…。
それも浅い眠りですぐ目が覚めてしまうし。何か全然寝てない気がする…。

で、寝れないので布団に入って寝返りばっか打ちながら取り留めのないことを考えていたのですけど、それでふと、昔のかかりつけのお医者の先生のことを思い出して。
私は3つの時に中耳炎がものすごい悪化して、それでその後十数年耳鼻科の病院に通い続ける羽目になったのですけど、一番最初は市民病院に行ってたのですが、しばらくして親が豊川に評判のいい先生のいる病院があるって聞いてきて、そこへ通うことになったのです。
それが、G田先生。内科と耳鼻科、だったかな、あまり規模は大きくない個人病院だったのですけど、初老の、すごく穏やかな優しい先生で。
何しろかなり悪化した時点で市民病院の耳鼻科に連れて行かれたので、当然そこでの治療もけっこう痛かったり怖かったりで、3つの子供に病院は怖いと刷り込ませるには十分だったわけで。
G田先生の病院に行くのも、私はあまり覚えてないですが、親や祖母に聞くとかなり嫌がったらしくて。
「子供が嫌がって…でも連れてきて治療受けさせますから」って言ったうちの母に、G田先生は、「治療はやめましょうね」って仰ったそうです。
「まずは病院に慣れてもらって、怖くないと思ってもらうのが先だから、幸い中耳炎は前の病院での治療で一旦治まってるし、まずは遊びに連れておいで」って。
その言葉どおり、最初の数回は一切治療無しで、ホントに病院に行って先生とお話して、お菓子貰って帰って来る、そんな感じで。
そうしてG田先生の病院に慣れた頃に少しずつ治療を始めたんですけど、その治療の時にも、私はもうホンットに家族からも耳タコで言われるし自分でも思い出しては頭を抱えたくなるような手に負えないワガママ娘だったのですけど、先生はずーっと気長に穏やかに私を諭して、どうしてこの治療をしなくちゃいけないかを教えてくれて、炎症が再発してすさまじく不機嫌な時も、遠足の前の日に熱が出て遠足にいけなくてむくれてた時も、G田先生のところに通っていた間、一度も声を荒げられたことがないくらい、穏やかに優しく接してくれて。
だから私も、G田先生のところへ行くのはとても好きになったんですよ。
『お耳を治すために行っていて、行ったら少しは痛いこともしなくちゃいけない』ことは分かってたんですけど、それでもG田先生のところへ行くのは好きだった。
ちなみに初めてバレンタインにチョコをあげたのも先生にです(笑)そしてホワイトデーのお返しに、おいしいお菓子と、綺麗な装丁の本を貰ったり、病院は先生の家に併設して建てられていたのですけど、治療が終わった後に家の方に連れてってもらってアイスたべさせてもらったりとか。
可愛がってもらって、大好きで、そしてもちろん治療もすごく熱心にしてくれて。

だけど、やっぱり私の耳の具合はあんまり思わしくなくて、もっと設備の整った病院へ変わった方がいいんじゃないか、って話になって。
G田先生が紹介してくれた、今度は豊橋の耳鼻科専門の病院にまた変わることになって。小学校に上がるか上がらないかのころでした。
「今日で最後だからね、今度から新しい病院に行くからね」って言われて、「今までありがとうございました」って。
「頑張って治すんだよ」って、最後の診療の終わりにそう言ってくれて。
ホントは、別の病院になんか代わるのいやで、ずっとG田先生の病院に通ってたかったですよ。
でも病院を変わるように勧めてくれたのも他ならぬG田先生でしたしね。

…そうして変わった豊橋の病院でもずっと治療をして、今では私の耳は完治しております。アレルギーだったり鼻炎だったり、そういうのはまだありますけどね。
『完治させてくれた』のは、豊橋の病院の先生なんでしょうけど、『治そうと思わせてくれた』のは、G田先生で。
「治ったー!」って真っ先に報告に行きたい人だったのですけど、…それは、叶わなくて。
私が中学の時にG田先生は亡くなってしまって、しかも私はそれをずっと知らないままで、しばらく経ってから初めて聞いて。
全然、そんなこと知らなくて、先生は今でもずっとあそこで元気で病院をやってると思っていたので、すごいショックで。
しかも先生には病院の後を継ぐ人がいなかったから、病院も家も取り壊されてしまった、と聞いて更にショックで。
あんなにいっぱいいろんなことをしてもらったのに、私は結局先生に何も返せなくて、せめてちゃんと治ったら会いに行って、「治ったよ」の一言だけでも言いたかったのにそれも出来なくて、すごい…悲しくて。
あれから数年経ちますけど、私は未だに先生にちゃんとお礼を言えなかった、出来なかったことを後悔してるし、これからもし続けるだろうし、先生のことを思い出すたびに泣いてしまうんだろう、と思って。

そんなことを考えているうちに涙が止まらなくなってきて、夜中の3時過ぎの真っ暗い中で丸まって泣いてました。
泣きながらうとうとして、泣いてる感触でまた目が覚めて。
朝起きたら顔が涙でカピカピしてましたわ。
けして嫌な思い出ではない、幸せな、温かい思い出なんですけど、でもほんの少し、喉に刺さった小骨みたいにずっと私を苛むものなのです。
そんなお話。


そして目が覚めてからは、両親と妹と買い物に行ったり、夜は祖母の誕生日のお祝いにお寿司を食べに行ってたりしてました。
…でもお寿司屋行っても食べれるものがほとんどない魚介類ほとんどダメな私…。


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