Hirata's Archives〜未来への欠けらを集めてみました
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2005年12月30日(金) |
「洒落」とか、「何となーく情報インプット」&「自分の考えをちょこっと」とか |
ジュリーが魚になっちゃって、 これがホントの鰆研二。 (「今夜のおかずはジュリーの煮付けよー!」 「勝手にしやがれ!」)
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【NHK総合『あなたのアンコール』内、ETV特集 「生きていてくれて、ありがとう〜夜回り先生・水谷修のメッセージ2」を途中から聞く】
「“夜回り先生”こと水谷修さん、元定時制高校教諭。 長年、“夜の街に居場所を求める子どもたち”と真正面から向き合い、 シンナー・覚醒剤などの薬物汚染や暴走族から子どもたちを救い続けてきた。 今、水谷さんは新たな課題と向き合い始めた。 夜回りでひっかからない子どもたち、すなわち独りで悩みを抱え、助けを呼ぶこともできず、 リストカットなどをすることでかろうじて自分が生きていることを確認している子どもたちを救うこと。 “大人や社会から認めてもらえない子どもたち。 元気のあるものは夜の街へ、それすらできない弱い子どもたちが眠れぬ夜に手首を切っている”。 そうした子どもたちの抱える“心の闇”に電話やメールを通して向き合い始めた」 (NHKのサイトより引用)
「今の社会は非常に攻撃的です。 『いいんだよ』じゃない。『だめだよ』です。 『何やってんだ』と上司は部下を叱責する。 部下は家に帰って奥さんに当たる。 奥さんは子どもに当たる。 子どもは学校で『こんな問題もできないのか』と叱責される。 世の中全体がイライラいらいらしている。 そのすべてが子ども達に集約されている。 子どもたちと接していてわかったのは、非行・犯罪を繰り広げる子と、 リストカットしたり、不登校になったりする子と、 その根っこは一緒なんだということ。 僕は彼らのことをまとめて、"夜眠れない子どもたち"と呼びました。 僕がかかわってきた、ある意味で元気のある"夜の闇に沈んだ子どもたち"は、実は少数なんです。 それよりはるかに多くの優しい子どもたちが、イライラした社会に圧迫され、 攻撃的な社会につまはじきにされることで、自分を責め、心がぱんぱんになった結果、 リストカットなどを繰り返している」 (「Yahoo!ブックス」のwebページのインタビューより引用)
ぼくはこれまで“夜回り先生”と呼ばれてる人がいるらしいというのは少し聞いて知ってたけど、 今回この番組で、講演やこどもたちの電話に受け答えする水谷修氏の 話し方を聞いて、「言葉に力のある人だなぁ」という気がした。 そして、彼に救いを求めるこどもたちは、言葉で相手を攻撃したり、 自分を解放することができずに苦しい思いを募らせている人たちなんだと思った。 それだけ「言葉」ってものは難しいもののようにぼくには思える。 水谷先生は言っていた、 「先人の日本人は言っていた『10褒めて1叱れ』と。 褒めればこどもたちの目は輝く、その輝きは美しい。 その輝きを見るためにこういう活動をしている。 その輝きを見れば疲れも吹き飛びます」。
「純真な子、優しく思いやりのある子ほど、問題が起きると自分を責めてしまう」。
「リストカットは隠してはいけない、それは心の叫びだから。 親でも、先生でも誰か大人の見ている前でやりなさい。 そしたら、きっと誰かが君をどこかとつないでくれるから。 リストカット自体が問題なのではなく、その原因とどう向き合うかを考えなければならない」。
「安易に大量の薬を出してしまう精神科医が多い。 それでは薬への依存度が高まるだけで、問題解決にはつながらない」。
「今、リストカットをしているこどもたちの数は100万人いるというデータもある」。
「死にたい死にたいといっぱい書かれたメールが送られてくる」。
「これまで電話やメールで相談を受けてきて、これからもっと『死にたい』と考えるこどもが増えてくる傾向を感じている」。
「とにかく、自分の外に気持ちを向けるようにしなさい。 家の手伝い(靴磨きでも洗濯物をたたむことでも部屋の掃除でも)をするとか、 お年寄りのゴミの袋を持ってあげるとか、乗り物で席を譲るとか、 少しづつでも優しさ配りをしてごらん。 人のためになることをしてみてごらん。 そしたら、『ありがとう』って言ってくれるから、 そういうことから自分の心が解かされていくようになるから」。
水谷先生は自分が救いきれずに死なせてしまった人たちに対する償いの気持ちも強く持っているようで、 講演でもそんなこどもたちの話をしていた。
先生はリンパ腫という病気でもう長くはないらしい。
本は売れ、相談のメールなどは殺到し、講演はどこも満杯ということらしいので、 水谷先生の活動は世の中から評価され、またそういう強いニーズもあるってことなんだろう。
先生のメッセージは「生きるっていいもんだよ」というものなのかな。
ぼくはこれだけ苦しんでいるこどもがいるという話を聞いて悲しい気持ちになったなぁ。 苦しんで死ぬ人がいても、「それでも地球は回っている」というか、 「何事もないように世の中は回っていく」というか、 それこそ、「自業自得」ってことで片付けられてもまずいなぁっていうか。
やっぱり、苦しいことは「苦しい」って表現したほうがいいと思うし、 しんどい時は「しんどい」って言ってみたほうがいいんじゃないだろうか、 暗いものは「暗く」出してみてもいいんじゃないか (まあ、そんなこと言ってても、実際ぼくなんかはわりと「クール」にすごしてきたつもりではあるけど)。
どうも世の中見てると、表面的な明るさとか、 取り繕った楽しさとか、とりあえずの笑いとか、 そんなもので、「心満たされた振り」をしてみたり、 「場の雰囲気を壊さないように」と気を遣ってみたり していることが多いように思えてしようがないんだけど。 なんか、そういうことができる人よりは 苦しいこと、しんどいこと、暗いことを“普通に話し合える人”のほうが、 “人間力”のある人って感じが(今の時代は)する。
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